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熱い漢、北野誠監督を知るための一問一答! 1万字インタビュー【ぎふマガ! 半年ありがとうキャンペーン特別企画】

 

ある日の練習後の囲み取材から。サッカーを語る口ぶりに情熱がほとばしる。


 最終節までを見据えて共に戦っていくため、より北野誠監督の人柄を伝えたいと思い、8月某日、ロングインタビューを敢行した。選手時代の様子からFC岐阜での監督業に至るまで約1万字の大ボリューム。まずはお読みください。
 
◆JSL末期のプロデビュー
 
――北野さんは帝京高校サッカー部で活躍したあと、1986年から日立製作所で日本リーグでのプレーを始めたんですよね。
北野誠監督 はい。(第64回)高校サッカー選手権が終わってすぐ日立の寮に入りました。
 
――当時の日立は碓井博行さんが晩年にさしかかっていて……。
北野誠監督 そうですそうです。80年代は碓井さん、西野(朗)さん、須藤(茂光)さん、菅又(哲男)さんが日本代表でした。西野さんはバリバリ点を獲っている時期でしたね。同期には、いまザスパクサツ群馬の強化部長を務めている飯田(正吾)がいました。同じザスパでコーチの清川(浩行)もそうですね。
 
――1部と2部を行きつ戻りつしていましたが、昇降格と残留を繰り返し、勝負強さはこの頃身についたのでしょうか? J開設を控えて最後となった91年には1部で終わっています。
北野誠監督 それはいま初めて思いました。選手の時代は全然意識していませんでした。
 
――選手はやはり自分のプレーに集中?
北野誠監督 そうですね。プレーだけです。若かったということもあるし、悔しかった、嬉しかったという感情は残っていますけど。
 
――もうすぐJリーグができるという時期に、これからプロが始まるんだと意識が高まったということはありますか?
北野誠監督 ぼくは20歳(はたち)のときにプロ契約(※1986年に「ノンアマ」「プロ(スペシャルライセンスプレーヤー=SLP)」の登録が始まり、翌87年にはSLPが「ライセンスプレーヤー」にあらためられプロ選手が増加した)したんですよ。ぼくと清川、それからこの方も日本代表だったんですが吉川(亨)さんの3人だけプロになりました。
 
――まだ企業チームの時代でしたけど、もうプロサッカー選手としての意識でキャリアを始めていたわけですね。Jリーグ開設前夜の雰囲気、ちょっとわかってきました。
 
◆チームづくりを重視しての選手起用~カマタマーレ讃岐
 
――話は飛んでカマタマーレ讃岐の監督時代、就任初年度は地域リーグ。その1シーズンでJFLへの昇格を果たしたわけですが、このときの正ゴールキーパーが、現在FC東京の広報を務めている家木大輔さんでした。どこがよかったのでしょうか?
北野誠監督 もうひとり、サンフレッチェ広島を皮切りに複数のJクラブに在籍した河原(正治)がいて、彼が第一キーパーだったんですよ。JFLのアルテ高崎にいた堀之内健介が二番手で、姫路獨協大学からやってきた家木は三番手だった。でも二番手までのふたりがミスを連発したんです。そこで家木を抜擢したところ安定したので、使いつづけたら見るみるよくなってきた、という感じですね。
 
――背丈が178cmあると言っても、ゴールキーパーとしては大柄ではないですよね。
北野誠監督 大柄ではないですね。技術的に優れていた、というわけでもない。ただあいつは、ひとのことを考えられるんですよ。ポジションにもよるけど、チームをつくるうえではやっぱり性格がすごく大事。一年間を戦うスパンを考えたときに、その三人のうち誰だとなったら家木だったんだと思います。
 
――彼は選手会長も務めて、選手として出場機会が減ってもチームに残り、最後はビジネススタッフもやりましたよね。そこまでサッカーにこだわったのはもしかしたら北野さんの影響もあったのではと思ったのですが……。
北野誠監督 彼はね、すごい野心があるんですよ。野心家なんです。彼にはおそらくコンプレックスがあったと思う。選手になっていくプロセスを考えても、周りはエリートばかりで、こいつらには負けたくない、と。負けん気の強さがあって、だからこそ現役引退後も花形である運営の仕事をやりたいと言い、そこでいろいろなJクラブの人々と知り合ってFC東京から声がかかった。
 
――先日、FC東京が開催した全国のスタジアムグルメを集めたイベントでも、自ら『カマコロ』のお店に連絡して出店にこぎつけたそうです。
北野誠監督 彼はそういうところがあるんですよね。積極性と、のし上がっていきたいという、いい意味での野心。それはすばらしいな、と思います。あの性格があの時代(地域リーグ)にはすごく合っていたので、ファーストで使ったかな。
 
◆FC岐阜でのチームマネジメント
 
――サブメンバーを含めてこまめに選手を入れ替えているように映ります。どの選手も気が抜けないし、がんばればベンチに入れるということも、たぶんメッセージとして伝わっていると思うんです。気配りというか……。
北野誠監督 うーん、気配りというか、やっぱりチーム全体で、ということが大事で。常に見ているよというメッセージを発信しています。たとえば、

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