OBに聞け!山内智裕コーチその2「日本の真ん中で岐阜はもっと愛されるクラブになる」【OB Interview シリーズ第2弾】
FC岐阜で活躍したOBのみなさんを直撃するZoomインタビューシリーズ第2弾、山内智裕コーチ(2009/2010-2011)の第2回完結編は、現役時代の苦悩からFC岐阜の今後、そしてコーチ業の喜びに至るまでを語ってもらった。
◆正直に言うと苦しかった、岐阜での2年間
――あらためて学生時代を振り返ると、そこで得たものは?
山内智裕コーチ 理不尽な事態やアクシデントには動じなくなりましたね。すごくポジティブになりました。
――そうして迎えたFC岐阜でのシーズンですが……。
山内コーチ 岐阜での2年間は正直に言うと苦しかったですよ。結果は出なかったし。
――とはいえ、正式加入した2010シーズンが開幕した時点では先発メンバーでした。競争を勝ち抜いたという実感はなかったのですか?
山内コーチ ぼくのなかでは勝っているという意識はなかったですね。起用してくれることをラッキーには思っても、選手としての能力はまだまだだと思っていましたから。もっとレベルアップしないと通用しないだろうと。
競い合っていたタナシュー、田中秀人(第2節から先発)のほうがパフォーマンスがよくて、ぼくがクローザーみたいになっていたんですよ。
――それで第2節から途中出場をしていたんですね。
山内コーチ 監督はそういう構想をしていたと思うんですけど、ぼくはスタートから試合に出たいと、もっと練習しなきゃ、筋トレしなきゃと意気込んで、でもまだ出られないと自分で決めつけ、鍛えまくっていました。
そうしているうちにやってきたのが忘れもしないサガン鳥栖とのアウェイゲーム(2010年J2第13節、5月15日)、久々に
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