OBに聞け!川島眞也FC岐阜U-18コーチ「トップの選手は子どもたちの目標であり憧れとなるべき」【OB Interview シリーズ第3弾】
2012シーズンかぎりで現役を引退し、以来ずっとFC岐阜のアカデミーで指導者を務めてきた川島眞也FC岐阜U-18コーチに聞く、OBインタビュー第3弾。
選手時代の思い出からアカデミーの今後に至るまでを一気に語ってもらった。
◆がむしゃらだった昇格直後
――現役を退いたあともFC岐阜に残ったのはどうしてですか?
川島眞也FC岐阜U-18コーチ 最終的に岐阜で引退したというのもありますし、辞めると同時にアカデミーのオファーをいただいたことも大きかったと思います。今西和男さんの存在は非常に大きくて、福岡を退団するとなったとき、当時岐阜のGMだった今西さんが一番最初に電話をしてきてくださって。ほかにオファーがなかったわけではないですけど、岐阜へ行こうと。
福岡を辞めるときに30歳。自分としては長くやりたいと思っていたので、J1など上位のカテゴリーで出場機会を得ることは正直、難しいと考えていました。そこに声をかけてくれた岐阜というJ2に上がったばかりのクラブとともに挑戦したいと、意欲がわいてきたんです。
――なるほど、環境が火を点けたみたいですね。
川島コーチ そうですね。お金とかそういうものは、当時からぼくは気にしていなくて。ちょっとでも試合に絡む、メンバーに入ることを目標にしていました。サッカー以外のところであまり欲がなかったというのが正直なところかなと(笑)。
――J2に上がってきたばかりのチームということで、ベテラン選手の存在意義があったのでは?
川島コーチ 岐阜に加入した一年目(2008年)は森山(泰行)さんが最後の年で、他にも昇格前から年かさの選手(吉田康弘、小峯隆幸、小島宏美など)が在籍していましたし、ぼくと同時に何人かのベテラン(藪田光教、吉村光示、梅田高志など)が入ってきて30(歳)オーバーの人はけっこういたと思うんですよ。経験が多い人がたくさんいたということはチームづくりにおいては利点だったと思います。若い選手とベテランが一緒になってうまくできれば、もっといい結果は生まれたのかと思いますけど、そこは難しいですね。
――昇格したての頃はそんなに成績は悪くありませんでしたね。
川島コーチ みんな、がむしゃらでした。一年目はベテランが多かったですけど、二年目は思い切って獲得した大卒の選手が入ってきて、それでもそんなに成績が悪くなることはありませんでした。なぜかなと考えると、今の選手たちと比べて
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