「football fukuoka」中倉一志

【無料記事】私とJリーグとアビスパと/30回目の「Jリーグの日」を迎えるにあたって考えたこと:【フットボールな日々】

今年も「Jリーグの日」がやってくる。6万人の観衆が集まった国立霞ヶ丘競技場。TVの実況の音声をかき消すチアホーンの音。マイヤー(東京ヴェルディ)の先制点。エバートン(横浜マリノス)の同点ゴール。そしてラモン ディアスの決勝ゴール。どれも昨日のことのように鮮やかによみがえる。1993年5月15日から30年。Jリーグが開幕に伴って掲げた「百年構想」の実現にはまだ遠いが、私たちの周りには確実にJリーグがある風景が広がっている。

キックオフの数時間も前からスタジアムに出向き、いつもの場所で、いつもの仲間たちと挨拶を交わす。話すことは「おらが町のクラブ」のこと。勝った試合の喜びを分かち合い、敗れた試合の悔しさをぶつけ合い、そして今日の試合での勝利を誓う。ピッチに立って戦うことはできないが自分もチームの一員。大旗やゲーフラ、そして太鼓や手拍子でチームとともに戦う想いをスタンドから届ける。どんなときも、その光景に変わりはない。

アウェイにも多くの仲間が集う。様々なルートでスタジアムに向かい、旅の途中でアビスパグッズを身に付けた人を見つければ、自分の力が何倍にもなったように思えるから不思議なものだ。また、アウェイの洗礼を浴びながらスタジアムに辿り着く道中もまたサッカーの楽しみの一つだ。スタジアムにたどり着き、アウェイでなければ会えない仲間や、遠路はるばるやって来たいつもの仲間とサッカー談議に花を咲かす。そして勝利を誓って気合を入れるのはホームゲームと変わらない。

人数だけならホームのサポーターにはかなわない。けれども勝利に対する想いは負けてはいない。圧倒的なアウェイを感じさせられればさせられるほど、心が熱くたぎっていくのを感じる。その想いは選手の入場とともに最高潮に達する。来られない仲間の想いも背負ってチームとともに戦う。そんな気持ちが湧いてくる。そして勝利の時はホームゲーム以上に喜びを爆発させ、敗れた悔しさは口に出せないほど重くのしかかる。でもそれもサッカー。あの感覚を味わったらもうサッカーから離れられなくなる。

そんなことを繰り返しながらJリーグは30年の歴史を数え、アビスパは26年の歳月を積み重ねてきた。アビスパに限って言えば思い通りにならなかった記憶の方が多い。変われないのではないか、そう思った時もある。クラブの存続さえ危ぶまれたこともあった。それでも、アビスパに関わる人たちの想いを紡いできたから今がある。2020年以降の数々の記憶と記録に残る戦いは、クラブフロント、クラブ職員、長谷部茂利監督をはじめとするチームスタッフ、所属する選手たち、そしてアビスパに関わる人たちの力が生んだものであることに間違いはないが、これまで関わってくれた人たちの想いがあったからこそだ。

そしてアビスパは新しい歴史を積み重ねるべくチャレンジを続けている。最終目標は地方にあるクラブながらJ1で優勝争いを演じるチーム、クラブになること。それはJリーグの「百年構想」と同じように長い時間と努力の積み重ねが必要だ。それでも、どんな時でも前を向いてチャレンジし続けることで、一歩ずつ、いや半歩ずつ、そこへ向かって行くことは30回目の誕生日を迎えるJリーグが証明している。

まだまだ力は足りない。だからこそ現状としっかり向き合ってチャレンジを続けたい。いつも言うように、クラブの力とはフロント、クラブ職員、監督をはじめとするチームスタッフ、選手、ファン、サポーター、そしてアビスパに関わるすべての人たちの力の総和。これからのアビスパにとって自分に何ができるのか。一人ひとりのその想いがアビスパ福岡を大きくしていく。そんな想いを大切に次の1年に向かって行きたい。

[中倉一志=文・写真]

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