西部謙司 フットボール・ラボ

【特別コラム】ルヴァンカップ決勝に敗者は存在しなかった。「どうプレーしたら楽しめるか」を提示した川崎フロンターレと北海道コンサドーレ札幌

稀に見る好試合となったルヴァンカップ決勝。なぜこの試合は多くの人の心を打ったのか。そこには選手やファンの深層心理に訴える何かがあったはずだ。

広島、浦和、札幌とチームを変貌させるミシャの指導者としての器の大きさ

ルヴァンカップ決勝ではPK戦で敗れた北海道コンサドーレ札幌でしたが、あのファイナルに敗者はいないと思います。川崎フロンターレ、札幌ともに素晴らしいプレーでした。

ミハイロ・ペトロヴィッチ監督はまたもタイトルを逃してしまったわけですが、それも小さなことに思えるほどのプレーぶりだったのではないでしょうか。サンフレッチェ広島に始まって、浦和レッズ、札幌と、率いるチームをこうも変貌させるのですから、その手腕とともに指導者としての器の大きさを感じます。

話は少し逸れます。コロンビア代表を率いてセンセーションを起こしたフランシスコ・マツラナという監督がいます。アトレティコ・ナシオナル(メデリン)と一時期は兼任していて、1989年のインターコンチネンタルカップ(トヨタカップ)ではACミランと戦っています(延長の末1-0でミラン勝利)。このときのミランはアリゴ・サッキ監督が率いていて、世界最先端ともいえるプレッシング戦法とともに飛ぶ鳥を落とす勢いでした。ところが、ナシオナルも全く同じといっていい戦法だったのです。時期が同じなので、ミランのコピーではありません。偶然の一致です。

サッキ監督が1974年のオランダ代表をモデルにプレッシングに行き着いたのは、本人がそう話しています。実はナシオナルのモデルもオランダでした。オランダのリヌス・ミケルス監督の友人だったリカルド・デレオン監督が南米に初めてオランダの戦術を伝え、あと2人ほど関与してマツラナ監督が受け継いだようです。モデルが同じなのでミランとナシオナルは似ていたということですね。

マツラナ監督はナシオナルにリベルタドーレス杯をもたらし、コロンビア代表をW杯に出場させ、1989年はコロンビアの飛躍した年になっています。ただ、マツラナの功績はそれ以上にコロビアのサッカーを変えたということだと思います。

「我々は何を望むのか。どうプレーしたら楽しめるのか」

これが当時のテーマだったと言います。

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