マリノスの伝統=堅守という大いなる誤解はこのときに生まれた?―1995年の横浜マリノス【Jリーグ・タイムトラベル】
鉄壁の守備陣とアルゼンチン化で名門の威光を見せつけた1995年の横浜マリノス。このシーズンの見事な戦い方がその後のマリノスのイメージを決定づけたのだが、その方向性は偶然の産物と言えるものだった!? 今週もJリーグ、タイムトラベル!
攻撃力の日産から堅守のマリノスへ
2年連続でチャンピオンシップ優勝のヴェルディ川崎をストップしたのは、ライバルの横浜マリノスでした。Jリーグ発足前から日産自動車と読売クラブはライバルで、この2チームの対戦はクオリティも高かった。
日産は加茂周監督が就任してから急速に力をつけています。金田喜稔、木村和司、水沼貴史、柱谷幸一、アデマール・マリーニョと、トップクラスの選手を補強して一気に日本の頂点にのし上がりました。
非常に攻撃的なチームで、個々の技術の高さだけでなくコンビネーションも素晴らしかったですね。読売はジョージ与那城、ラモス瑠偉など(元)ブラジル人選手が軸でしたが、日産はほぼ日本人選手で(といってもマリーニョの存在は大きいのですが)魅力的な攻撃をみせていました。
ただ、J開幕の少し前から守備型のスタイルに変化していました。守備的になったというより、井原正巳、柱谷哲二、オスカーと大物DFを補強したこと、攻撃陣がピークを過ぎつつあったことで、強みが守備力になっていった。
J開幕時から優勝候補だった横浜ですが、3年目の95年ファーストステージでようやくタイトルを獲得します。
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