レオ様は本気出していないだけ―ブラジル人らしくないブラジル人たちが魅力的だった1996年の鹿島アントラーズ【Jリーグ・タイムトラベル】
今でこそ試合巧者としての地位を確固たるものにしている鹿島アントラーズだが、その地盤固めはこの頃から本格的に始まっていたのかもしれない。常勝軍団のルーツをたどって、Jリーグタイムトラベル!
Jリーグで最も早く「試合巧者」の称号を手にした鹿島
申し訳ないのですが、この年のJリーグをほぼ見ていないと思います。前年の秋ぐらいにフランスに移住していたんです。なので、語ることがほぼないのですが、とばしてしまうのも気がひけるので、鹿島アントラーズについて。
1996年は1ステージでやっていたんですね。アタランタ五輪、アジアカップがあって5~8月までスケジュールが組めなかったので2ステージ制を断念。そのかわりといってはなんですが、リーグ終了後にサントリーカップをやっています。こちらは名古屋グランパスが優勝ですが、このシーズンのリーグチャンピオンは鹿島です。
テクニカルディレクターにジーコ、ジョアン・カルロス監督というタンデム体制。年間MVPにはジョルジーニョが選ばれています。
レオナルド、ジョルジーニョは2年前のワールドカップ優勝メンバーでした。現役バリバリです。このころは、Jに働き盛りの選手が来るようになっていました。名古屋にはドラガン・ストイコビッチ、横浜フリューゲルスはセザール・サンパイオとジーニョ、ジュビロ磐田のドゥンガなど。
レオナルドは12試合プレーしてパリ・サンジェルマンへ移籍しましたが、ルーキーの柳沢敦が8試合5得点と活躍しています。
鹿島はブラジル路線で現在まで来ているわけですが、ジョアン・カルロス監督は評価が高かったですね。私は全然接点がないので、何がよかったのかわからなくてすいません。
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