毎年監督が代わってもずっと強かったのはなぜ?―「黄金時代」の始まり1997年のジュビロ磐田が教えてくれること【Jリーグ・タイムトラベル】
かつて栄華をきわめたジュビロ磐田だが、その成功のサイクルには意外な背景が隠されている。サックスブルーの集団が華麗なサッカーでJリーグを席巻した輝かしい黄金時代にJリーグタイムトラベル!
急に凄いことになったインターナショナルなJ
1997年、ファーストステージ優勝が鹿島アントラーズ、セカンドはジュビロ磐田。チャンピオンシップは磐田が勝って初の年間チャンピオンとなっています。
この年も私はフランスにいたのでJリーグ、ほぼ見ていません。ただ、開幕戦でパトリック・エムボマが活躍した映像はフランスのテレビで見た気がします。エムボマ、パリ・サンジェルマンにいたんですよ。試合はちょっと記憶にないのですが、練習で見た覚えはあります。パリSGの担当記者などは「Jリーグ? 無理だろ。活躍できないよ」と、けっこう冷たかったものです。むしろ、G大阪で覚醒してからカメルーン代表などでも活躍するようになったのではないでしょうか。
柏レイソルにはエジウソンもいましたね。この人もJリーグじゃないどこかで見た記憶があって凄く速い印象でした。鹿島にはビスマルクがヴェルディ川崎から移籍していますね。で、磐田にはドゥンガがいました。さらに2002年ワールドカップで優勝監督になるフェリペ・ルイス・スコラーリが監督。何かJリーグが急にすごいことになっていて驚きました。
このころじゃないですかね、フランスでもJリーグ見られるようになったのは。確かケーブル放送で見られたはずです。私はまだケーブル引いてなかったので見られませんでしたが、フランス・フットボール誌のテレビ欄を見たら載っていました。
鬼軍曹ドゥンガの影響力にオフトは…。ジュビロとジーコジャパンとの共通点。
94年にJに参入してきた磐田は、ハンス・オフト監督が率いていました。ヘラルト・ファネンブルグとサルバトーレ・スキラッチがいました。ドゥンガは95年に来ています。ここまでは日本にいたのでギリ見ています。ドゥンガが試合中に凄い怒ってた(笑)。それがまた地団駄踏んで味方を怒鳴りつけていて、選手は恐かったと思いますが、見ている我々は爆笑していたものです。
試合後、オフトに「あんなに怒ってばっかりで、他の選手は大丈夫か?」と聞いたら、
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