突然のクラブ消滅が残した禍根―本家による「バルサ化」で有終の美を飾った1998年の横浜フリューゲルス【Jリーグ・タイムトラベル】
日本が悲願のW杯初出場をはたした年でもある1998年、横浜フリューゲルスはジェットコースターのような1年をおくった。サッカー史に深く刻まれている伝説を残した年にJリーグタイムトラベル!
地域密着を掲げていたJリーグだったが…
日本代表が初出場したフランスワールドカップが開催された1998年は、ファーストステージがジュビロ磐田、セカンドは鹿島アントラーズが優勝。チャンピオンシップを鹿島が制しています。鹿島と磐田の二強時代ですね。
ただ、この年で忘れられないのは横浜フリューゲルスの消滅です。
ファースト8位、セカンド7位、総合成績は6位ですが天皇杯で優勝しています。そして、1999年元旦の天皇杯決勝が最後の試合でした。
二大スポンサーだった全日空と佐藤工業のうち、佐藤工業が本業の業績不振から撤退せざるをえなくなり、全日空だけでは支えきれないため、横浜マリノスに吸収合併される形となっています。
衝撃でしたね。Jリーグのクラブは株式会社なので倒産もありえるわけですが、まさかクラブが消滅するとは思ってもみませんでした。
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