日本人による日本人のためのサッカーは幻想に過ぎない―「Jリーグ史上最強」の呼び声高い2001年のジュビロ磐田とN-BOX【Jリーグタイムトラベル】
未だに語り草になるほど華麗なサッカーで魅了した2001年のジュビロ磐田。機能美にすぐれたサッカーのメカニズムはどのようなものだったのか、そして見られなかった夢の続きとは―2001年のJリーグにタイムトラベル!
短命に終わったN-BOXという名のジャパンズ・ウェイ
2001年は鹿島アントラーズがセカンドステージを制して、チャンピオンシップでも勝っています。ただ、このシーズンはジュビロ磐田ですね。N-BOXです。
鈴木政一監督の発案。この年にスペインでクラブ世界選手権を開催する予定で、磐田に参加資格があった。それで、世界の強豪を相手にどう戦ったらいいかということで考案したのが、中盤おサイコロの「5」の目みたいに配置するN-BOXでした。
N-BOXというのはサッカーマガジンのネーミングですね。たぶん伊東編集長でしょう。上手かったんですよ、こういうネーミングが。Nはこのシステムの中心だった名波浩のNであり、5人を線で結んだN、NipponのNというのもあるかも。GK以外は全員が日本人で、個々のレベルも高かったですけど、連係の良さを最大限に生かしていこうという発想のシステムでした。
アイデアは鈴木監督が出していますけど、実際の運用にあたっては選手間の話し合いとすり合わせで作っていった。日本人による日本人のためのサッカー、まさにジャパンズ・ウェイ。ただ、短命でした。
(残り 1434文字/全文: 2017文字)
この記事の続きは会員限定です。入会をご検討の方は「ウェブマガジンのご案内」をクリックして内容をご確認ください。
ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。
会員の方は、ログインしてください。
外部サービスアカウントでログイン
Twitterログイン機能終了のお知らせ
Facebookログイン機能終了のお知らせ