西部謙司 フットボール・ラボ

ミシャ式の欠点を巧みに手術した森保監督の“職人技”―黄金時代を築いた2012~2015年のサンフレッチェ広島【Jリーグタイムトラベル】

3度の優勝をはたした黄金時代、森保監督はいかにしてミシャ式という土台を変えていったのか。指揮官のしたたかな戦略と戦術が彼らを勝者に導いた。20122015年のJリーグにタイムトラベル!

ミシャ式を踏襲しながら巧みなマイナーチェンジ

201215年の4年間で3回優勝したサンフレッチェ広島をまとめます。森保一監督時代ですね。

2011年までのミハイロ・ペトロヴィッチ監督が浦和レッズを率いることになり、森保監督が抜擢されていますが、広島の元選手としては初めて。確かに外国人監督が多かったですからね。森保新監督は前任のミシャ監督の戦術を踏襲しています。いわゆるミシャ式。

ミシャ式については、もうすっかりお馴染みでしょうから説明は省きます。独特のやり方ですが選手はそれに慣れていましたし、成績も悪くなかったですから継続。ここで大きく変えるほうが難しかったと思います。

ミシャ式の攻撃力は素晴らしかったのですが守備に課題がありました。というより、ミシャさん守備の練習をほぼしないので有名でした。守備で自陣に引いたときは5-4-1になるシステムなので、これだけ引くと相手はなかなか得点できません。あえて守備の練習をするよりも攻撃に注力したということのようです。まあ、トレーニングは紅白戦が多かったので、そこで当然守備はしているのでとくに時間を割かなかったということなのでしょう。

しかし、守備のルールがほぼないというのは選手にとっては不安です。ミシャ監督はとにかくポジティブに攻撃的にという人でしたから、選手としては不安に思っていても言い出しにくいところはあったと思います。森保監督は、その誰もが内心不安ないし疑問に思っていたことに手をつけました。

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