「日本らしさ」は本当に必要ないのか? 川崎フロンターレが示す「日本化」の底流と未来【日本サッカーヒストリア後編】
前回に引き続き、日本におけるショートパス主体のサッカーの歴史と進化を読み解くコラム。かつてさかんに言われた「日本化」、その結晶を高いレベルで実現したのは代表ではなく川崎フロンターレだった。世界で戦う上で「日本らしさ」は本当に必要ないのか?
N-BOXのジュビロ、高校サッカーの静学&野洲、遠藤&二川のガンバ、ザッケローニ…連綿と続く歴史
日本サッカーのトップチームの距離感は近めだったというのが前回の話でした。近いのは特定の人たちのコンビネーションだったからと考えられます。これは日本特有の現象ではありません。
1970年代のバイエルン・ミュンヘンは中央攻撃で有名でした。リベロのフランツ・ベンッケンバウアー、中盤から前線にかけてドリブルでかき回すウリ・ヘーネス、トップのゲルト・ミュラーの3人による縦軸がはっきりしていた。80年代の読売クラブのように、バイエルンもドイツサッカー界の異端児でした。カルロス・バルデラマを中心にショートパスをつなぎまくったコロンビア。マヌエル・ルイ・コスタやルイス・フィーゴなど黄金世代のポルトガルも狭小攻撃のチームでした。
しかし、これらはその属人性ゆえか、中心メンバーがいなくなるとノーマルな距離感になっています。その国やチームの特徴というより、たまたまそのときがそうだったということなのかと思います。
日本も1993年にJリーグが開幕すると、狭小攻撃の傾向は目立たなくなりました。読売クラブが名前を変えたヴェルディ川崎には残っていましたが、読売時代ほど極端ではなくなっています。
ただ、底流には狭小攻撃志向は根強くあったかもしれません。N-BOXで有名になったジュビロ磐田、高校選手権で話題になった野洲高校(それよりかなり前に静岡学園もありましたね)、遠藤保仁や二川孝広のガンバ大阪、そしてアルベルト・ザッケローニ監督期の日本代表。いずれもパスワークが魅力的なチームで人気も高かった。鮮やかなコンビネーションに多くの支持があり、やはり距離感は近かったですね。これらのチームは強いだけでなく、日本のファンの琴線に触れるものがあったのではないかと思います。
日本サッカー史上最強クラスの攻撃は意外にも惨敗したW杯ブラジル大会のコロンビア戦
前回、オランダのサッカーがJリーグで合わないことが多かったということを書きましたが、オランダが典型ですけどヨーロッパの指導者がイメージするサッカーあるいは距離感と日本人のそれが微妙に違っているのではないかと思います。
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