西部謙司 フットボール・ラボ

「ジャパンズ・ウェイ」は既読スルーでOK。そもそも「日本人の良さを活かしたサッカー」が1000%不要不急な理由【特別無料公開】

衝撃的だったオマーン戦の完敗で、言いたいことはたくさんありますが、最終予選は始まったばかり。そこで日本代表が試合をする度に必ずと言っていいほど流通する「あの言葉」について今回は考えてみました。これからも頻出するであろう言葉に惑わされないために、正しい道を進むために、いま立ち止まってその意味を考えてみる必要があるはずです。今回、特別に無料公開します。

日本0-1オマーンの衝撃も…ジャパンズ・ウェイの敗北ではない 

ワールドカップ最終予選が始まり、日本は何とホームのオマーン戦を落としてしまいました。まあ、前回予選も緒戦で負けているので「何と」と驚くほどのことはないかもしれませんが、前回はUAEで今回はオマーンと、負ける相手のグレードが徐々に下がっているのは気になるところです。

試合についてはいろいろ論評も出ているので省略しますが、「和式の敗北」というニュアンスの見解もちらほらあるようです。

この「和式」というのは、JFAが掲げているJapan’s Wayのことかと思いますが、先に結論を言っちゃうと関係ないです。言いたいことは何となくわかりますが、無関係だと思います。ジャパンズ・ウェイとは何か、協会がどう言っているかを確認しましょう。

「特定のチーム戦術、ゲーム戦術を指す言葉ではなく、日本人の良さを活かしたサッカーを目指すという考え方そのものであり、イメージの共有のための言葉です」

チーム戦術でもゲーム戦術でもないと言っています。イメージの共有のための言葉だそうです。キャッチフレーズみたいなものですから、それで勝ったり負けたりはしません。ロシアワールドカップのときに田嶋幸三会長が「まさにジャパンズ・ウェイだった」みたいなコメントを出していたと記憶していますが、だから勝てたとか良いプレーだったという意味ではないはずです。ジャパンズ・ウェイはただのイメージを表した言葉にすぎないわけですから、「日本っぽかった」という意味にしかなりようがないわけです。

協会的には重要な言葉なのでしょうが、はっきり言って気にしなくていいと思います。というか、気にしない方がいい。日本代表のサッカーに結びつけてしまうと、妙な誤解が広がるだけのような気がするんですけどね。

ともあれ、ジャパンズ・ウェイが勝ったり負けたりはしません()。ただ、「日本人の良さを活かしたサッカーを目指す」という部分が、日本独自のサッカーとか外国にはないサッカーというように解釈されてしまうと、ややこしいことになってきます。で、実際にそうなっている感すらあるのが恐いところでもあるわけです。

和式でも洋式でも用を足せればOK 

ジャパンズ・ウェイは戦術でもプレースタイルでもない。ただ、「日本人の良さを活かしたサッカーを目指す」とは言っているので、じゃあ具体的にはどういうサッカーなのかというところで、いろいろと考えてしまうわけです。「和式」と言われているのは、たぶんそれぞれの想像の中にあるジャパニーズ・スタイルなのでしょう。

では、和式とは何か。日本スタイルとは何なのか。

これ、明確に答えられる人はいないと思います。協会的にも「日本っぽい」サッカーなら何でもいいわけで、例えば、いちおう「和食」で美味ければいいよという感じでしょうか。どこまでが「和食」かの定義もしていません。カレーライスも和食の範囲かもれません。つまり、和式は「日本っぽい」雰囲気のサッカーということになるでしょうか。

そんなものが戦術やプレースタイルになるわけがない。

和式と対比される言葉は洋式です。洋式にはロジックがあり正解があるとすれば、対する和式にはロジックがなく正解もないということになる。それは戦術的に「無」といっていいでしょう。戦術がないのが戦術だという禅問答は意味がありません。ないものはないだけです。無なので、その場その場で選手たちが手探りで正解を見つけていきます。そうすると選手は日本人なので、そこはかとなく「日本っぽい」雰囲気は出ますが、それだけの話です。

森保一監督をはじめ選手たちにはジャパンズ・ウェイも和式も関係ないでしょう。そんなものに構っているヒマはありません。現場にとっては勝つための「合理性」があるかないかだけです。ただ、見る側にはジャパンズ・ウェイや和式という言葉がまとわりついていて、実際に勝つための合理性がどこまであるかと見た場合に曖昧に見えてしまう。

例えば、ポジショナル・プレーというロジックがあります。勝つための合理性を補強するツールみたいなものです。洋式です。便利なのでどこも使うようになりました。ただ、日本代表にはちゃんと装備されていません。でも、それは洋式だから、和式でないからという理由ではないと思います。用が足せれば洋式でも和式でもいいですよ、現場は。単純に装備していないだけだと思います。わざと忌避しているとは考えられません。知識がないか時間がないかでしょう。

和式だからダメなのではなく、たんに「遅れている」だけだと思います。もし、和式が知識の習得を阻害している要因なら一刻も早く駆逐すべきですね。だから気にしちゃいけないんですよ、ジャパンズ・ウェイ。「日本人の良さを活かす」なんて、ことさらに言うから和式でなければならないと考えてしまう余地を与えかねないわけで。「日本人の良さ」なんて、勝手に活きますって。それよりも現状の「日本」を超えてしまうことが重要。その過程で活きない「良さ」ならなくていいです。

ちょっと前まで、「日本人のCBは小さい。小さいサイズの良さを活かして何とかならないか」なんてことも言われていましたが、吉田麻也や冨安健洋が出てくれば解決しているわけです。必要なものはどんどん取り入れても、日本人らしさは勝手に残ります。残らないとしたら不要だからでしょう。勝てなくても残したいものがあるなら尊重はしますが、それについてはたぶん誰も言っていないと思いますので。

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