「GELマガ」鹿島アントラーズ番記者・田中滋WEBマガジン

おさらい。なぜ、鹿島は改革の舵を切ったのか(その2)/【コラム】

 次のチームを担うと目された選手が、次々と海外のクラブに移籍してしまう時代を迎えたことで、チームが強くなりきれない時代を迎えた。また、ある困難に直面したとき、同じ哲学の下で成功体験を得た選手同士であれば、すぐにまとまって対応できる場面でも、経験を共有できていない選手が多くなれば、一つに束ねることは難しくなる。チームが熟成しきらないだけでなく、勝負強さ、粘り強さ、したたかに戦いながら勝負の綾を見極めるといった、鹿島らしさも薄れていく。

 勝てなくなれば、勝ち続けることを宿命づけられたクラブとしては存続が危うくなる。そのなかでも主導権を取る戦い方を手にしなければならなかった。

 ピッチのなかでゲームを掌握する方法は一つではない。ボールポゼッションの割合を高めて主導権を握る方法もあれば、激しいプレッシングと速い展開の連続に相手を引き込み息をつかせない方法もある。監督によって選択されるゲームモデルによって変わってくる。

 ただ、鹿島にはこれまで培ってきた哲学や歴史がある。アグレッシブにボールを奪う戦い方は、いつの時代でも変わらない。招聘されたザーゴが手を付けたのもそこだった。まずは、激しいプレッシングでボールを奪うこと、そして最終ラインからしっかり組み立てることを選手たちに求める。監督がやろうとしていることと、クラブが望む方向性は合致している。

 

 

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