「GELマガ」鹿島アントラーズ番記者・田中滋WEBマガジン

開幕から3ヶ月で19試合。本山復活で締めくくる/【コラム】追憶のアントラーズ(10シーズン⑥)

 これまで書きためてきた取材ノート51冊をふり返りの第24回目。

 以前の原稿 第1回 第2回 第3回 第4回 第5回 第6回 第7回 第8回 第9回 第10回 第11回 第12回 第13回 第14回 第15回 第16回 第17回 第18回 第19回 第20回 第21回 第22回 第23回

 

 2010年はW杯イヤー。5月16日でリーグ戦は一時中断、再開は7月14日と2ヶ月の間隔が空く。その間に様々なことが起きていた。

 まずは5月12日のAFCチャンピオンズリーグ・ラウンド16での敗退があった。対戦したのは韓国の浦項スティーラーズ。チームを率いていたのはオズワルド・オリヴェイラの兄であるバウデマール・オリヴェイラ。戦前は兄弟対決として注目されたが、対戦直前の10日解任。ヘッドコーチを務めるパク・チャンヒョンが指揮を執る混乱ぶりだった。

 しかし、試合は0-1で敗れることに。簡単なスローインからマークがずれて失点するという残念な形だった。いくつかの映像を見て感じるのはイ・ジョンスの遠慮ぶりだ。浦項戦の失点場面でもスローインを受けるために引いていったFWのマークを受け渡すのか、自分がそのままマークするのかかなり曖昧なポジションを取っている。

 他の場面でも自分がどうしたいのかまわりに伝えないままプレーすることがしばしば見られ、無用にDFラインを混乱させていた。持っている能力は高く、韓国代表としての実績も申し分ない選手だったが、どこか力を出し切らずにプレーしていた感が強い。クラブとして2人目の韓国人選手だったことが影響したのかも知れない。最初の韓国人だったパク・チュホが自分から積極的に絡んでくる正確だったのに比べると対照的だった。思い返すとカンヘン通訳以外の人物と話していた印象は薄い。7月にカタールへ移籍するのも仕方なかったかも知れない。

 

(残り 901文字/全文: 1658文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ