「ジーコ自伝」から読み取れる鹿島に息づくジーコスピリット/【コラム】
ジーコがブラジルに帰国した。
18年途中からテクニカルディフェクターとしてほとんど全ての活動に帯同して目を光らせてくれた。彼の在任期間、アジアチャンピオンズリーグの戦いでもクラブワールドカップの舞台でも、鹿島が変な待遇を受けることはなかった。もちろんレアル・マドリードのように明らかに特別扱いされることはなかったが、“ジーコのクラブ”として一目置いてもらえたのはそこに本物のジーコがいたからだろう。
ジーコがいない時代には、ACLのアウェー遠征中、深夜の時間帯を狙ってホテルの選手部屋に謎の電話がかかってきたり、練習グラウンドに石が撒かれていることもあった。それに比べれば、ジーコに失礼がないように振る舞うことが、敵地でも意識されていたように感じる。そう考えると18年にACLを制することができたのも必然だったのかもしれない。
痛めている膝は大きく変形しており、歩く速さもずいぶんゆっくりになった。今後は、ブラジルにいながらクラブをサポートしてくれることだろう。関わり方は少なくなってしまうが、一時期、鹿島とジーコはかなり疎遠になってしまったこともあった。今回、TDに就任して感じたのは、あらゆる面で鹿島アントラーズはジーコの哲学が色濃く残されているということ。
今回は、ジーコに敬意を表して、その哲学の多くを感じ取ることができる「ジーコ自伝」を紹介したいと思う。
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