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無料記事【覚悟】前橋育英出身FW横澤航平(18) いざドイツへ 現地で練習参加

一昨年、昨年度の高校サッカー選手権で活躍し今年3月、前橋育英を卒業したFW横澤航平が5月6日、ドイツ下位リーグクラブの練習参加のため日本を旅立つ。海外でのプレーを熱望する横澤は、FCクライ、シュバルツヴァイスエッセン、ロートヴァイスエッセンなどドイツ4、5部クラブの練習にテスト参加する。滞在は約1か月の予定。現地で各クラブの反応を探りながら、移籍先を探すという。

 

横澤は足元のテクニックと得点感覚を備えた左利きのドリブラー。高校卒業から約2か月、母校前橋育英のグラウンドでトレーニングを積み渡独への準備を進めた横澤は「いよいよ、という感じ。自分で選んだ道なので、やるだけだと思っている。協力してくれた多くの人たちのためにも全力でチャレンジしたい」とフライトを待つ。

 

 

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5月3日、横澤航平は母校前橋育英のグラウンドで後輩と一緒に紅白戦に参加していた。選手権では、いかつい坊主頭がトレードマークだったが高校卒業後にオシャレ坊主へとスタイルチェンジを図ったため最初は、ピッチのどこにいるのか分からなかった。しかし、相手をぶっこ抜くドリブルと重心の低いプレーは健在。横澤のポジションを把握するのに時間はかからなかった。

 

紅白戦を終えた横澤に、渡独前の心境を聞いた。

 

 

Q ドイツの話を聞く前に、聞かなければいけないことがある。なんで髪型を変えたのか?

 

「えっ・・・。なんか、伸ばそうかなって思ったので(笑)。いまはオシャレ坊主みたいな感じなのですが、いまの長さは好きじゃないんです。中途半端なので。自分の中では、坊主か、アフロ。普通が嫌いなので、どっちかがいいんです。高校卒業したら、アフロ系にしたいと思っていて、そのためには伸ばさなければいけないので、いまやっています。でも、なかなか伸びないので、嫌です」

 

Q 坊主にはこだわりがあったのでは?

 

「小学校2年から坊主なので、しっくり来るんです。たまには伸ばしていたのですが、やっぱりここに戻ってきます。育英は別に坊主じゃなくて良かったのですが、坊主以外は考えられなかったです。そう考えると、いまはやっぱり、中途半端です」

 

Q 坊主じゃないのでイメージが変わった。

 

「そうですか。どんなイメージだったんですか」

 

Q いかつい坊主で、やんちゃなルーニー・・・。

 

「自分の中のイメージとは違います(笑)。もっとオシャレにプレーしていた感じです(笑)。そう思うと坊主はインパクトがありますね。やっぱり坊主に戻すかもしれません。ドイツでは目立たないといけないので」

 

 

Q 高校時代を振り返ると?

 

「2年のときは選手権で準優勝、3年のときはベスト8でしたが、自分の力を発揮できなかったという感じです。2年のときはスーパーサブでしたし、3年は中心でやらせてもらいましたが、結果を残すことができませんでした。準優勝、8強という成績は良かったと思いますが、個人的には納得できませんでした。もっとやらなければいけなかったと思います」

 

Q 進路について?

 

「プロ志望だったのですが、Jリーグから声をかけてもらえなかったら海外へ行きたいと思っていました。大学? 考えなかったわけではないですが、自分の中の優先順位は低かったです。プロの世界でやりたいと思っていました」

 

Q 高校卒業時に不安はなかった?

 

「結局、Jリーグのどこからも声をかけてもらえなくて、周りからも『どうするの?』って聞かれ続けました。ちょっとしたことが気になったりしましたが、自分で違う道を選んだので、気にせずにやろうと言い聞かせていました」

 

Q 海外行きを決めたのはいつ?

 

「1月です。前橋FCの湯浅コーチと、育英の山田監督と相談して決めました」

 

Q ドイツではどんな流れに?

 

「3クラブの練習に参加することは決まっていますが、まだよく分かりません。1回1回の練習が勝負なので、常にベストの状態でプレーできるようにしたいです」

 

 

Q どういう気持ちで練習に臨む?

 

「協力してくれる人たちの思いを無駄にしないためにも、自分のすべてを出してチャレンジしていきたいです」

 

 

Q ドイツでアピールする部分は?

 

「ゴール前で、クイックネスに仕掛けていくところです。結果がすべてだと思うので、ゴールにこだわってプレーしたいと思っています。体のデカい相手とはあまりやったことがないので、楽しみな部分もあります。大変なことももちろんあるとは思いますが、立ち向かっていきます。人生がかかっているので」

 

前橋育英

山田耕介監督

「オレはずっと大学に行くことを勧めていたよ。本人はJへ行きたいって言っていたけど、話がなければ行かせられない。大学だったら、いくつかの話があったので、その話はしていた。ただ、最終的に決めるのは本人。本人が海外にチャレンジしたいと言っていたので、指導者としてはそれを尊重した。だから卒業後も2か月間、うちで面倒をみていた。行くからには、帰ってこないくらいの気持ちで行かなければいけない。向こうのデカい選手相手に、ドリブルで勝負する選手になってほしい。育英出身の田中亜土夢がフィンランドのヘルシンキで活躍しているが、航平はああいう選手になれる可能性がある。強い気持ちを持って、ドイツへ渡ってほしい。オランダとか北欧もいいんじゃないか」

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