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無料記事【Gマガ】元ザスパMF横山翔平   クロアチア・NKメディムレツでの日々

元ザスパ

MF横山翔平

クロアチア

NKメディムレツでの日々

 

前橋育英グラウンドに、なつかしい姿があった。元ザスパのMF横山翔平だ。2011年の前橋育英の背番号10。高校卒業後の2012年にザスパ入り、2015年までプレーしたあとの2016年に期限付きで町田へ移籍、そのシーズンでザスパと契約満了となった。翔平は、J3クラブなどが興味を示す中で海外行きを選択。昨年3月に単身でクロアチアへ渡り、4部NKメディムレツに加入した。昨季のリーグ前半は負傷で欠場したが、リーグ後半は13試合で8ゴール4アシストとブレイク。東欧の他国クラブなどのスカウトが視察に訪れる存在となっている。オフ期間を利用して、母校・前橋育英のグラウンドへやってきた翔平に、クロアチアでのプレーや生活の様子を聞いた。

 

 

Q 住んでいる場所はクロアチアのどんな町なのか?

 

「クロアチアの首都ザグレブから車で2時間くらいの小さな町Dunjkovectoiu(

トランコベック)です。中心部にちょっとしたカフェがあるほかには、何もない場所です」

 

 

Q ザスパとの契約が終わったあとどのように考えた?

 

「自分の中で、なんでうまく行かなかったのか考えました。ザスパは地元クラブで、サポーターの方たちも温かく接してくれていたので、甘えていた部分があったのかもしれません。ショックはありましたが、気持ちを切り替えました」

 

Q 海外へ行こうと思った理由は?

 

「本当はJリーグで活躍して、海外へ行くのが夢でした。J2で結果を残すことはできませんでしたが、サッカー人生に悔いを残したくなかったので、いろんな人に相談してチャレンジしてみたいと思いました」

 

Q だれに相談した?

 

「前橋育英の先輩の元ザスパの佐藤穣さんとかです。穣さんは同じ大泉出身で、海外へ出たので、普段から相談させてもらっています。『もっと早く、来い!』って怒られました(笑)」

 

 

Q  NKメディムレツはどんなチーム?

 

「クロアチア4部のセミプロのようなチームです。多くの人が働きながらサッカーをしているので午後から練習が始まります。僕は働いていないので午前中なジムなどに行って、そのあとに練習に参加しています」

 

Q リーグの期間は?

 

「9月に開幕して12月までが前期、1、2月が中断期間で、3月から6月が後期です。去年は、開幕してすぐに鎖骨を骨折して、一時帰国して、実質は後期しかプレーしていません。後期は13試合で8ゴール4アシストの結果を残すことができました。海外の選手は、カテゴリーに関係なく、プライドが高いので、負けないように頑張っています」

 

Q 住んでいる場所は?

 

「老夫婦が住んでいる家の2階を間借りしています。クラブが全部用意してくれている部屋です。1階と2階が独立しているのでホームステイではないですが、老夫婦との交流はあります。言葉? いろいろ話しかけてきてくれますが、ぜんぜん分かりません。食事はクラブが契約しているレストランで食べさせてもらっています」

 

Q 待遇は?

 

「1年目はケガもあったので生活の面倒をみてもらうだけでしたが、後期に結果を残すことができたので、今季は待遇が変わりました。今回の帰国の往復チケットもクラブが準備してくれました。オーナーが僕のことを気に入ってくれています」

 

Q 背番号は?

 

「『2』です。文化が違うので、背番号もよく分かりません。日本代表の本田さんが『4』をつけていますが、そんなイメージでやっています(笑)」

 

Q 今季の目標は?

 

「もう自分はあとがないので、ここから上に行くしかありません。そのために、ゴールという結果が必要です。海外では結果を数字で示さないと評価してもらえません。欧州は陸続きで移動が楽なので、他国のスカウトも来ています。活躍すれば移籍のチャンスが広がるので、貪欲にゴールを狙っていきます。厳しい環境ですが、成り上がりたいです」

 

Q 母校・前橋育英が全国制覇したが刺激はあったか?

 

「中断期間で日本に帰国していたので決勝は埼スタへ観に行きました。僕らの代は、予選の決勝で負けてしまい不甲斐ない結果で終わってしまいました。その悔しさを思い出すのが嫌で、これまで選手権は観に行ったことがありませんでしたが、決勝は行かなければいけないと思いました。選手たちのプレーに刺激を受けましたし、山田先生の涙に感動しました」

 

Q 山田監督の涙をみてどう思ったのか?

 

「山田先生が優勝後に泣いている姿をみて、僕自身もグッと来るものがありました。僕は育英時代に家のことでサッカーが続けることが難しくなりました。そのとき、山田先生が支援してくれてサッカーを続けることができました。山田先生がいなかったらサッカーを続けることができなかったと思うので、感謝しかありません。僕が海外で活躍することが恩返しになると思うので、精一杯チャレンジしたいと思っています」

 

【取材を終えて】

 

前橋育英のグラウンドで、たまたま翔平と再会した。翔平は、町田へ期限付き移籍したままザスパとの契約が満了になったので、寂しい別れとなっていた。それはサポーターも同じだろう。2012年、前橋育英からザスパに加入。新加入会見での初々しい受け答えが印象に残る。左足のテクニックを武器に、ルーキーイヤーから19試合、2年目は31試合に出場した。順調なスタートを切ったかに見えたが、3年目から出場機会が減り、2016年に期限付き移籍、そのままザスパを去った。約2年ぶりの再会となったが、フットボーラーらしい顔つきになっていた。クロアチアでの生活が、簡単ではないことは想像に難くない。言葉も通じず金銭的にも楽ではない状況で夢を追う生活が、彼を成長させているのは間違いないだろう。3月のクロアチアリーグ再開に備えて再び渡欧する翔平の左足から、一つでも多くのゴールが生まれることを願っている。(伊藤寿学)

 

※多くのサポーターに読んでほしかったので無料公開としました。

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