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無料公開【Gマガ】ザスパ草津チャレンジャーズ 2018シーズン総括 part1(全3回)

【Gマガ】ザスパ草津チャレンジャーズ

2018シーズン総括 part1(全3回)

 

 

2018シーズンのチャレンジャーズは群馬県リーグで奇跡の逆転優勝を果たした。悲願の関東2部昇格をかけて関東社会人サッカー大会へ挑んだが、今年も惜敗。関東リーグ昇格は果たせなかった。トップチームがJ3で戦うことになりクラブ改革が求められる中、チャレンジャーズはもはや聖域ではない。過去においてはチャレンジャーズからトップに昇格する選手もいたが、近年はゼロ。チームの存在価値を考える時期にきている。2018シーズンのチャレンジャーズの振り返りから、今後を考える。

全3回予定。(Gマガ編集部)

 

 

 

特別寄稿

史上最低からの逆襲

2018年のチャレンジャーズの軌跡を追う(その1)

 

個人としてはトップチーム昇格、そしてチームとしては関東社会人サッカーリーグ2部昇格を目指してきたザスパ草津チャレンジャーズ。そして今年も群馬県リーグで優勝を飾り、4度目の関東挑戦の機会を得たものの、今回も関東社会人サッカー大会2回戦でそのチャレンジは終わった。チャレンジャーズの2018シーズンを振り返っていく。

 

 

2018年シーズンの開幕

 

 (2018年の残留が決まった操将真)

 

20171118日、山梨県韮崎市で行われた第51回関東社会人サッカー大会準決勝、アイデンティみらい戦に2-5と完敗を喫したチャレンジャーズは、2017年の公式戦を終えたが、それと同時に「来季をどうするか?」という選択と向き合うこととなった。キャプテン増尾太一はすぐに継続を決めたが、半数近くのレギュラー選手たちはチームを去る決断をした。得点源として活躍してきた、操将真の去就は不透明だった。

 

 

関西国際大学を卒業した彼はプロへの道を諦めきれず、卒業後は関西社会人サッカーリーグ1部に所属するバンディオンセ加古川に入団。そしてその翌年、神戸弘陵高校時代に2トップを組んでいた江坂任(柏)が、ザスパからステップアップする姿を目の当たりにし、チャレンジャーズに入団する。しかし2シーズンが経過し、個人としても、チームとしても結果を出せず「引退して地元に戻って指導者への道に進もう」とも考え始めていた。だが、心の中にあった「やり残した感」と、木村直樹監督が彼の残留を強く望んだことから、残留が決定。「エース」の継続が決まり、2018年のチャレンジャーズがスタートした。

 

 

しかしそれでも、2018年シーズンの最初は「過去最低」ともいえる状態からのスタートだった。15人という少ないメンバー数で始まった今季だが、「少数精鋭」であればそれでも問題なかったが、昨年の主力の半数が退団したこともあり、操、増尾汰一、若本紘次朗、岡部柊太の4人を除けば、加入2年目と新加入の選手ばかりで、戦術理解を含めてまた1からチームを作り直す必要があった。さらに、守備的ポジションを専門とする選手が多くないことは木村監督の悩みであり、早い段階で誰をどこにコンバートするのかも見極める必要があった。そんな状況もあり、木村監督は「前途多難ですよ」とも話していたが、新チームが始動して2週間という段階で早くも2名が退団するなど、最初から波乱のスタートとなっていた。

 

 

だが、ポジティブになれる要素も徐々に生まれていた。昨年在籍していた渡辺有作と坂本建太の復帰がリリースされると同時に、さらに2016年シーズンまで不動のCB大澤靖信がチームに戻ってきたのだった。

 

 

1月の始動時点では、県リーグ優勝すら無理だろう…と思われた今年のチームだが、操がコーチ兼任で残留を決め、渡辺、坂本、そして守備面で要となる大澤が復帰し、さらに過去2度の天皇杯本戦進出時に、守護神として活躍した後藤聡志もコーチ兼任として参加したことで、やっとチームとしての骨格が整い始めてきた。そして325日に、元ザスパ監督の植木繁晴氏率いる上武大学との天皇杯予選1回戦を迎えたが、そう簡単に勝てるほど甘くはなく、1-4という完敗を喫し、3月の時点で天皇杯への道、そしてトップチームとの夢の対戦が閉ざされてしまった。

 

 

■県リーグ開幕~低迷~起爆剤の登場

 

 (今夏、ザスパに復帰した吹田)

 

 

県リーグ初戦こそ、7-1で快勝したが、それから経験、連携不足を露呈してしまい、過去8シーズンの県リーグ公式戦で1度もなかった「連敗」を喫することになる。チームとして初の連敗により、リーグ戦前半を終えた時点で、首位tonan前橋サテライトに勝点差6をつけられ、早くも自力優勝の可能性が消滅。まさにどん底ともいえる状況に追い詰められてしまった。

 

 

しかし、連敗の翌週以降に中断に入ったのは、不幸中の幸いだった。そんなチーム状況の中で、今年2月に栃木ウーヴァを退団していた吹田諒のチャレンジャーズ復帰と、トップチームから志村駿太の期限付き移籍がリリースされ、深刻な得点力不足に悩んでいたチームに大きな起爆剤がもたらされることになった。さらに懸念だった右のサイドバックには、コンバートされた仙葉秀一が定着し、夏以降はディフェンダーとして大きく成長していった。

 

  

こうして、各ポジションがしっかり固定され、吹田の突破、志村の想像力という個の力が加わったことで幅が広がった。もしかしたら「行ける(優勝できる)のでは?」という雰囲気になりつつあった。しかし、優勝するためには、自力だけではなく「他力」も必要なのだが、そこは本当に運が味方した。9月に入っての初戦で、まさかの引き分け(1-1 JOBT/NEXT)を喫し「今度こそ終わった…」と思われたが、同日に行われた首位tonan前橋サテも引き分けに終わったことで、首の皮一枚を残すことが出来たが、そこから先の展開はまさに劇的と言えるものだった。

 

 

過去9シーズンの中で、最弱と思われたこのチームだが、吹田が復帰することで息を吹き返し、さらに志村を加えたことで、「ラストピース」を得た。そして10月の県リーグ公式戦以降は、トレーニングマッチだけではなく、普段の練習さえ完全非公開として、目標としていた関東昇格のために練習を繰り返していた。だが、大会直前になって大きなアクシデントに見舞われてしまう。最後にチームに加入していきた志村が、練習中に左足大腿部を負傷し、試合出場が微妙な状況になってしまったのだった。

 

 

志村はチャレンジャーズへの移籍について、「最初は複雑だった」と話してくれている。ザスパの下部組織(U-15U-18)出身者でトップチームに昇格し、初めてJ2公式戦を経験した志村にとって、昨年のtonan前橋への移籍に引き続き、今年もトップチームに残れなかったことは悔しいことでもあったが、彼は気持ちをすぐに切り替えて草津行きを決断した。その決断の裏にはある選手との約束があった。

 

 

現在はJFLのコバルトーレ女川でプレーする鵜飼亮多(元ザスパ)だ。年齢では鵜飼が1歳年上だが、先にトップチームの一員となったのは志村だった。そして20167月にトップチーム昇格を果たした鵜飼と志村は、互いを励まし合う仲間となった。志村は「絶対に頑張る、絶対に負けない」という強い決意を鵜飼に切り出していたという。関東リーグ昇格という結果を出してトップチームに再び戻る、という決意をもって草津に行った志村は、すぐにチームに溶け込んでいった。温かく接してくれる草津町の人も励まされながら、燻っていた能力は、小雨グラウンドという舞台で開花していく。

 

 

(第2回へつづく)

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