無料記事【Gマガ】ザスパMF松下裕樹、契約満了でザスパ退団へ。ザスパ在籍10年、現役続行か現役引退かは未定。「今後については考えていきたい」
【Gマガ】ザスパMF松下裕樹、契約満了でザスパ退団へ。ザスパ在籍10年、現役続行か現役引退かは未定。「今後については考えていきたい」
ザスパは12月7日、MF松下裕樹の契約満了を発表した。ザスパ在籍計10年、身も心もザスパに捧げた闘将がチームを離れることになった。現役続行か現役引退かは未定。
松下は「J2復帰出来ず、申し訳ありませんでした。そして、10年間ありがとうございました。 今はまだ言葉にできない10年間の想いがありますが、今後についてしっかりと考えていき、改めてご報告させていただきたいと思います。これからもザスパクサツ群馬をよろしくお願いします。今まで本当にありがとうございました」と、クラブを通じてコメントしている。
松下は、群馬県高崎市出身。前橋育英卒業後の2000年に広島入り。当初は名門・筑波大に進学する予定だったが、Jクラブの練習参加時の刺激が忘れられずに急きょ進路変更。大学側に断りを入れて、プロの門を叩いた。
2000〜2003年は広島、2004〜2006年途中まで福岡、2006年後半は川崎でプレー。同年末に行き場を失い、2007年2月にザスパの宮崎キャンプにテスト生として参加。当時の植木繁晴監督から「七色のパス」と絶賛され、シーズン開幕前にザスパと契約した。
左右両足から繰り出される高精度ミドルパスでゲームをコントロール。2008年5月21日には、自らのゴールでザスパのJリーグ初連勝を手繰り寄せた。涙を流して喜んだ姿は、ザスパの伝説だ。
気迫あふれるプレーの一方で、イエローカードホルダーとしても知られ、2015年10月には大久保嘉人を抑えてJ史上初のイエロー100枚を達成。Jリーグの歴史に金字塔を打ち立てた。
2013、2014年には、群馬県出身の山口素弘氏が指揮を執っていた横浜FCへ移籍。2015年には「ザスパのことが、ほっとけなかった」という名言とともに、古巣ザスパへ復帰。その男気は、サポーターから絶大な支持を得た。
J3となった今季は、シーズン序盤に先発出場していたがチームが低迷。シーズン中盤以降は、ベンチスタートでの途中出場となり、17試合の出場にとどまっていた。
クラブからの契約満了リリースは7日の午前0時1分(メール着信)。
松下の37歳の誕生日である7日に、リリースを出したのもクラブの松下への配慮か。
前日6日の夕方には、大久保哲哉の契約満了が発表されたが、松下についての情報はなかった。
松下は、最終戦から2日後の12月4日にクラブと話し合いを持ち、契約満了を伝えられたという。松下本人も、今季のチーム、個人成績を鑑みた上で覚悟はしていたようだ。
しかし、実際はショックが大きかった。
松下の今後は現時点では未定。本人にはJ3より下のカテゴリーでプレーする意思はなく、その去就が注目される。
松下のJリーグ通算出場は481試合、総得点は27。
背番号30、永遠なれ。
(2018.12.07)