無料記事【Gマガ】ザスパMF中山雄登〜ターニングポイント1〜 「大学時代は、1学年下にアタル(江坂)がいました」
【Gマガ】ザスパMF中山雄登〜ターニングポイント〜
「大学時代は、1学年下にアタル(江坂)がいました」
MF中山雄登
ターニングポイント1
広島ユースから流通経済大へ
今季、熊本からザスパへ移籍したMF中山雄登。身長163センチ。ピッチのギャップでボールを受けて、パスをさばく「黒子役」だ。ボールの受け方、パスセンスはチーム屈指。2月23日の開幕戦はケガの影響で後半からの途中出場になったが、中断期間にケガが完治。再開後はスタメンに絡んでくることが確実だ。(記事を一部訂正しました)
1991年広島県生まれ。広島ユースから流通経済大へ。大学の1年後輩には、江坂任(元ザスパ、現柏)がいた。大学卒業後に熊本へ加入し、6年間プレー。昨季のJ3リーグではザスパと対戦している。そして2020シーズン、ザスパへ加入することになった。
趣味はギター。熊本のファン感では、あいみょんのマリーゴールドを演奏し、高瀬優孝とともに歌い上げた。ザスパ公式ツイッターでも、自慢の手品を披露するなど足だけではなく手先も起用。生粋のエンターテイナーであることは間違いないが、本人曰く「人見知り」のためメディア露出は少ない。今回のインタビューにあたり、ネット検索してみたが、人となりが分かる記事はほとんどなかった。
中山はどんな選手なのか。ターニングポイントからプレーヤーの原点を探る。
「体が小さいので、どうしたら生き残れるかを考えた」
広島ユースから流通経済大へ進学した。同ユースから流通経済大へ行ったのは、中山が初めて。広島から関東に出ることはチャレンジだった。同期は、中美慶哉(前橋育英出身、現松本)。2学年上には、乾大知(元ザスパ、現松本)がいた。
「高卒でプロを目指していて、それができなかったので、大学でプロになりたいと思っていました。広島にいたので、関東のチームとかほとんどわからなくて、強くて、プロになれるチームを探しました。僕の時代は、流大が強かったので、決めました」
ポジションはボランチがメインだった。1年最初はJFL、1年の後半から大学トップでプレー。1年から主力として活躍した。
「僕は、身長も高くないですし、ドリブルで抜くタイプではないので、トラップとかパスのテンポだったり、ポジショニングを意識してプレーしていました。大学になるとみんな体が強くなっていく中で、僕は守備でも体で弾き返すことができないので、ターンやクイックとかで相手をかわしていくことを心掛けました。どうしたら生き残れるかを考えました。そこは大学で身についた部分です」
大学4年のときに総理大臣杯で優勝を果たした。
「大学時代に印象に残っているのは、やっぱり総理大臣杯の優勝です。主力にケガ人が多くて、みんなでやってやろうと気合が入りました。そのときの大会得点王がアタル(江坂任)でした。あいつのおかげで優勝できたところもあります」
総理大臣杯優勝後、リーグ戦を、ある人物が視察に来た。小野剛氏。広島ユース時代の恩師で、その翌年から熊本監督に就任することが決まっていた。小野氏から誘いを受けて、熊本入りが決まった。
「流通経済大に進学したときからプロに行くことしか考えていなかったので、うれしかったです。熊本という場所のイメージがなかったのですが、行ってみたら、環境が良くて、チームと一緒に成長させてもらいました。小野さんが、1年目からゲームに使ってくれたので、それが一番大きかったと思います」
中山は熊本で6年間、プレーすることになる。
(つづく)
(2020.06.06)