デイリーホーリーホック

【シーズンオフ特別企画】ボランティアグループ「Tifare」代表補佐・栗原賢二さんコラム  「裏方魂④ たったひとりの広報活動」(2013/1/14)※全文無料公開

水戸のために何でもやりたかった

町のコンビニで水戸ホーリーホックのポスターを見かけると、胸が熱くなります。
ボランティアとして2シーズン目を迎えた2007年。「もっとチームのためにできる事はないか?」と
私は考えていました。通常のスタジアム運営に、志願しての前日設営(当時は応援隊の制度がなかった)。
ピッチのライン引きまでやったのだから、それだけでも結構なボリューム。
しかし『クラブが消滅してしまう』危機感の方が強く、さらなるハードワークを欲していました。

サポーターが土日に商店街で、チームのポスターを貼らせてもらっている。
有志による広報活動を知ったのはちょうどその頃。ボランティアスタッフとしての活動範囲からは
外れていたものの、とにかく水戸のため何でもやりたかった。

駅北口から銀杏坂、南町、泉町のお店を一軒一軒訪ね歩き、ポスター掲示をお願いする。
反応はまちまち。もともと応援してくれてた所もあれば、よくわからないまま貼らせてくれた所も。
やはり断られた時は心にダメージ受けます(苦笑)。主に掲示スペースが無いという理由はわかりつつも。

中心市街地にチームカラーが増えるのはとても意義深い。
その一方で水戸ホーリーホックは周辺の市町村もホームタウンとしている。だけど笠間や城里でポスター見かけた事ないぞ(2007年当時)。
このままでは地域をあげて盛り上がる事など不可能じゃないか?

思い立ったら行動、私は梅香にあったクラブ事務所へ足を運びました。ポスターを貰いに。
フロントスタッフに「もっと周辺地域に目を向けてくださいよ!」と直訴した方が筋の通し方として正常な事は知っています。しかしこの時代のマンパワー(人手)では、話を聞いてくれても実際アクション起こせるかどうか。それなら動ける自分が動いた方が早いと。

「助かります、よろしくお願いします」。フロントも私の意思を汲んでくれました。
100部ほど受け取ったポスターを手に、笠間市や東海村の商店街へいざ出陣。
チーム関係の知り合いも少なく、あまり人を巻き込むものではないと考えていた27歳当時。
たったひとりの広報活動が始まりました。

水戸ホーリーフォックス?

サポーターが土壌を作ってくれた地区とは違い、初見の商店も多いアウェイ状態。
そこに飛び込んでいくのはなかなか勇気が要ります。
「何?サッカー?別に構わないよ」
「もうちょっと強ければいいのにね」
「ウチの商売とは関係ないからなあ」
「後援会の人と知り合いだよ」
「あんた選手?」
「水戸ホーリーフォックス、応援してるよ」

チーム名の覚え違いとか、選手に間違えられたのはご愛嬌として、その場で貼らせてもらえた割合としては60%といった所でしょうか。店長さん不在につき一旦預かりもありました。
3件続けて断られた時などは大きく凹みます。打ちのめされて半日寝込んだ記憶も(苦笑)

誰に頼まれたわけでもないのに貴重な土日を費やし、勝手に空回って傷ついてる。
当然のごとく「俺、何やってるんだろう」の自問自答が始まります。
そもそもホーリーホック、そんなに好きだったか?

「本物のバカ」になれた

Jリーグ開幕以来、10年以上応援を続けたジェフ市原から「移籍」して数年。自分との闘いでした。
場合によってはこのままポスター活動からも、ボランティアからも離れていたと思います。
だけど「中途半端なバカになりたくない」、その一念で私は踏みとどまりました。男の意地です(笑)

学生時代やっていた演劇の経験上、練習でも何でも『ここまでやるバカはいない』という所までやって、はじめて舞台上でメンタル的な優位に立てる。効率とかコストパフォーマンスとか確かに大切だけど、それを考えた時点で負けな局面って、往々にしてあると思います。

同じ想いを抱き、同じ活動をしていたサポーターと連絡を取り合うようになり、那珂市や城里町にも進出。
紙袋にポスター・セロテープ・画びょうを詰め込んで、炎天下の町を歩いた日々は私の中で勲章になりました。
あそこまでやったから、『本物のバカ』になれたんだと。

チームにどれだけ貢献できているか、当時はわからなかったし、今でも正直わかりません。
だけど数字として観客動員は伸びていて、自分自身も成長している。それで充分です。
大きな課題があって、方法はともかく立ち向かった。ビッグクラブでは過ごせない時間を「生きた」という事。

水戸周辺の町は以前に比べ、多くのポスターを目にするようになりました。
何より嬉しかったのは、ホームタウンの幾つかが水戸ホーリーホックに出資してくれたというニュース。
孤独な広報活動も、ちゃんとクラブの歴史につながっていたのかなと。

そして現在『J1ライセンス』という、新たな高い壁が目の前に立ちはだかっています。
とはいえ関係者全体の、闘いにのぞむ選択肢は格段に増えました。
個人の思いつきでポスターを貼りに行くしかなかった、あの頃とは違う。

もう弱くない。ひとりじゃない。壁を壊しましょう。

(栗原賢二)

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