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デイリーホーリーホック

【特別寄稿】ボランティアグループ「Tifare」代表補佐・栗原賢二さんコラム「裏方魂⑪ 南三陸町フラッグの旅(前編)」(2013/6/12)※全文無料公開

皆さんこんにちは! シーズンオフに「裏方魂」というコラムを連載させていただきました、ボランティア8年目の栗原と申します。6月16日は国立競技場で行われる復興支援Jリーグスペシャルマッチに、「Tifare滋賀」の若手とともに裏方で参加します。
ホームゲームと連続になりますが、水戸を代表して是非働きたいなと思い。全国からの励ましに支えられた感謝も胸に、少しでも被災地の力になれるよう頑張ります!

タイトルの件、宮城県の南三陸町にチームフラッグを届ける機会がありましてこの場をお借りしてレポートします。

800日あまりをどのように過ごし、何を考えてきたか


2011年3月11日に起きた東日本大震災は、私達の住む茨城にも大きなダメージを与えました。
お店から食料が姿を消し、ガソリンスタンドに夜明け前から並んだ記憶のある方も多いでしょう。
Jリーグはスケジュールが一旦白紙となり、Ksスタのメインスタンドも半年間使えない状態に。
クラブ消滅の危機を本格的に迎え、不安を抱えながら運営に臨んだ覚えがあります。

あれから2年。水戸ホーリーホックは存続し、粘り強いサッカーで昇格に望みをかける段階まで来ました。
試合結果に一喜一憂できるのも、生きているからこそ。毎週の楽しみがあるのは、本当に幸せだと思います。

北の沿岸部に住んでいた多くの人々は一瞬で命を奪われ、リーグ戦の行方を見守る事もできない。
犠牲となった方の時間は止まったまま、J1で柏レイソルが優勝しサンフレッチェ広島が優勝した。
私達はその800日あまりをどのように過ごし、何を考え生きてきたのか?

懇意にしているベガルタ仙台ボランティアに、南三陸町出身の方がいます。
ご実家が高台にあり、庭先まで津波が迫る所で助かったものの、ご近所は全て流されてしまいました。

自分のはるか頭上、建物でいうと4~5階部分まで濁流が押し寄せる。想像できるでしょうか。
実際にその地へ行き立ってみると、起こった出来事の凄まじさに身が震えます。
「死ぬ」って一体、どういう事だ?イメージすらできてない私は、ただただ心臓が締め付けられるばかりでした。

昨夏に訪問した時、町のあちこちに瓦礫と家の基礎が残っていましたが今はかなり片付けられています。しかしそれを単純に、「復興」と呼べるのか?
目の前の土を掘ればかつての日用品が見つかるし、行方不明者が残っている可能性もある。
ここに新たな住まいを作る事は許されず、慣れない土地へ生活を移さざるをえない。家族がバラバラに暮らす場合も。

「マイナスの場所はマイナスのまま、違う場所にプラスが出来ていくんだな・・・」
町を案内してくれた先述の仙台ボランティアの方が、ぽつりと呟いた言葉。耳に残って離れません。
海辺の美しい公園に展示されているSLを、子供の頃から好きだった。それももう、残っていない。

身近な人や日常を失いながら、立ち直ろうと本当に頑張ってきた方に「頑張れ!」などとは言えません。
しかしその心と、できるだけ寄り添っていたい。メールや電話でも気持ちは伝わるかもしれないけれど、友達がいるのなら足を運ぼう。災害ボランティアにも参加しないまま、虫のいい話だとは思いますが・・・。

旗をテーマとしたイベントが開かれる

南三陸町歌津地区に、プレハブで再建した商店街があります。人々の元気を取り戻すべく全国のスポーツチームから旗を集め、掲げようという試みを始めたのは1年前。
水戸からも、サポーターがフラッグに寄せ書きしたものが風にはためいています。

海風にさらされて半年も経つと色が落ち、破けてしまうのもしばしば。
商店街の皆さんが心をこめて修復してくれていますが、いよいよ限界を迎える時は来る。
どうやらホーリーホック分がそういう状態らしい。6月23日には、旗をテーマとしたイベントが開かれる。
こりゃいけない!面子というより、訪れた方々のテンションが下がるのを恐れました。

クラブに頼んで、新しいものを用意してもらおうか。可能ならば選手のサイン入りが良い。
時間がないため手配でき次第、直接届けに行こうと思いました(サポーターの皆さん、声をかけずごめんなさい!)。
そして5月25日、チームが快く準備してくれたフラッグを車に積み、南三陸町を目指しました。

・・・長くなってすみません。商店街訪問の様子は後編に続きます。
以下、昨年7月に撮った町の写真をご覧ください。月日が経ってなお残る、震災の爪痕を物語っていました。

写真①

写真②

写真③

写真④

写真⑤
【写真 栗原賢二】

海の上を走る電車・気仙沼線は高架ごと津波に破壊され、橋桁だけが残った。
旧志津川駅の階段には流されたベンチが横たわり、壁画が「3・11以前の日常」を思い起こさせる。
今は同区間をBRT(バス高速輸送システム)で結びます。何度も報道された防災対策庁舎には県内外から
沢山の人が訪れますが、写真を撮る前に犠牲となった方々のため、手を合わせてほしいと私も思いました。

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