デイリーホーリーホック

【シーズンオフ特別企画】ボランティアグループ「Tifare」代表補佐・栗原賢二さんコラム「裏方魂⑯ 掲示物語」(2014/1/13)※全文無料公開

サイン会に人が集まらないのはなぜ!?

水戸ホーリーホックの試合を初めて観戦したのは約10年前。多くの方が持った感想と思いますが、「こんなJリーグもあるのか!」。
真剣勝負の中にどこか牧歌的な空気も漂って、じわじわハマりました。しかしどうしても納得いかない景色が。

キックオフ前、スタジアム外のテントに体格の良いお兄ちゃんが2人、所在なさげに座っている。
どういう状況か大体察しはついたけど、数分後サポーターがそこに色紙を持ってきてようやく確信しました。
プロサッカー選手なのに、サイン会へ人が集まらないなんて屈辱じゃないか?

もちろん今よりずっと観客動員も、選手の認知度も、クラブのブランド力も低い時代の話。
とはいえ本当の問題は『いつ・どこで・誰の』イベントを行うかの案内掲示が、ほとんどされていなかった事。
DJ寺ちゃんのアナウンスを聴いて行きたくなっても、結局どこでやるのかわからなくて、機会ロスが出ていると思いました。

ほどなく私は、ボランティアスタッフとして関わるようになります。運営現場は「足りないものだらけ」。
トイレや再入場口の位置を示す掲示物は一応あったものの、既に風雨にさらされボロボロ。
必要な案内はボール紙の裏に手書きするしかなく、それも2~3回使えばゴミになってしまう。

この状況、どうしてくれようか?今ならクラブに言えばすぐ作ってくれるけど、当時は万事「できなくて当たり前」。
フロントスタッフが1人4役ぐらい兼務し、睡眠時間を削ってようやく機能する姿を間近で見ています。
正当な理由でも、彼らにこれ以上の仕事を負わせるのは酷だ。同年代のクラブ社員が多く、情も湧いてました。

掲示物語の第一歩。ラミネート機をゲット

『掲示問題』を解決する糸口もつかめないまま、私のボランティア初年度は終わりました。
転機が訪れたのはそのシーズンオフ。実家へ帰ると、父の部屋にPCで自作したと思われる町内会の告知が。
しかも綺麗にラミネート加工されている。職人気質でパソコン技術も急速にマスターした事は知ってたけど。
「どうやったの?」思わず訊いたら、「機械が電気屋に売ってたんだ。そんなに高くねえぞ」と、実物を見せながら父のドヤ顔(笑)

そうか、家でできるのか!私はすぐさまケーズデンキへ行き、難なくラミネート機をゲット。
もちろん自腹だけど、案内の質が向上する『希望の光』を感じ取っていました。
「現場に革命が起こるぜ!!」そんな恥ずかしい台詞は口にしなかったものの、やり甲斐が燃えたぎっていたのを覚えています。

入場口、売店、喫煙所、座席種類、チケット忘れ物の注意喚起etc.父に負けじとPCでレイアウトしつつ印刷。
ゲートやコンコース全体を網羅するとなれば、作る案内掲示は50枚以上になる。
そして半分手作業のラミネートも、意外と時間がかかる。当然のように徹夜となりました。

1000を超える掲示物を作成

私にとって2年目のシーズン開幕。紙袋に出来たての掲示物を溢れさせ、ボランティア控室へ行きました。
「すげえ、全部自分で!?」リーダーいのっち(猪瀬氏)を筆頭に、驚いた皆の顔が忘れられません。
もちろん「凄いバカが出てきたな・・・」という呆れも含まれたでしょう(笑)

選手全員分の名前とポジション、背番号を打ち出したサイン会の案内も作りました。
スタジアムへ初めて行った時の違和感が、少しは解消されるだろうか?
後に「掲示物のデザインがイマイチ」という問題も現れますが、何も無い頃よりは前進した。
そう自分を納得させつつ、文面やレイアウトの改良も加えました。

今日まで印刷・ラミネートしてきた案内掲示の枚数を合計すると、軽く1000は超えると思います。
費やしたお金も、数万円じゃ済まないでしょう。負担分をクラブに請求する発想はありません。
そんな事したら水戸ホーリーホックは潰れてしまうと、本気で考えてましたから(笑)

20歳のころ演劇に関わった身として、「やりたい事やるのに自腹を切るのは当たり前」。
芝居小屋の使用料を払うため、貧乏学生がバイト代を出しあった感覚が残っているので。
印刷代もアウェイ遠征費に比べれば安いもの。チームを強くしたい目的に、何ら変わりは無いでしょ?と。

そして昨シーズン、また転機がやってきました。
統一性を出すため、クラブが全ての掲示物を新たに作り直してくれたのです。

写真1
【写真提供 栗原賢二さん】
<↑BEFORE>

【写真2】
写真2
【写真提供 栗原賢二さん】
<↑AFTER>

デザインの差は歴然ですね。こちらからもう少し早く「やってくれ」と言っても大丈夫だったと思うけど、自然とこうなるタイミングを私はずっと待ってた気がします。その時こそ、クラブが一段階レベルアップした証だと。

地味に黙々と重ねてきた『掲示物語』は、こうしてひと区切りを迎えました。
肩の荷が下りた反面、寂しさも正直あります。それでも長い期間かけて練ってきた文面はそのまま残り、クラブが存在する限りスタジアムに貼られ続ける。ベースは作ったんだ。誇らしい気持ちを抱いています。

写真3
【写真提供 栗原賢二さん】

これはボランティアの女性メンバーが作成した逸品。フェルトの手縫いです。
『良い事は率先してやる』DNAを継承しつつ、これからも物語は続いていくでしょう。

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