デイリーホーリーホック

【コラム】明秀日立高校MF桜井太一選手(3年)(水戸ホーリーホックジュニアユース出身)「全国の舞台で完全燃焼したい」(917文字)(2015/11/16)※無料記事

【写真 佐藤拓也】

【写真 佐藤拓也】

高校選手権に出るのが夢だった

11月15日に開催された第94回全国高等学校サッカー選手権大会茨城県大会決勝。第一学院高校を3対2で下して初優勝を飾った明秀日立高校の中盤を支えていたのが、水戸ホーリーホックジュニアユース出身の桜井太一であった。

本職はボランチながらも「受験で3人が欠場した」(萬場努監督)ため、左MFとして先発。序盤からサイド攻撃の起点となって攻撃を組み立て、逆転を許した後にトップ下にポジションチェンジすると、前線でタメを作って厚みのある攻撃を生み出した。逆転勝利をおさめたチームの中で抜群の存在感を放っていた。

そんな桜井は高校進学時、「ユースに進む選択肢もあった」と振り返る。だが、「中学時代から高校選手権に出るのが夢だった。だから、高校のサッカー部を選択しました」と決断理由を口にした。
水戸商業高校で10番を背負ってプレーした岡野将也選手も同じ決断を下した一人。「彼と対戦するたびにレベルが上がっていて、負けてられないと思った。お互いに刺激を与えあっていました」と互いの関係について語った。インターハイ県予選決勝では両者が激突。そして、桜井に軍配が上がった。

卒業後はスポーツトレーナーの道へ

自分で選択した道。だからこそ、この決勝戦にかける思いは強かった。「絶対に勝って、選手権に出る」。その思いがプレーで表れた。80分間、ピッチを駆け回り、勝利のために戦った。その結果、全国の切符を手にすることができたのだ。試合終了と同時に喜びを爆発させていた明秀日立の選手たち。ただ、その中で桜井は「まだ優勝の喜びを実感していないんですよね。これからジワジワ来るんですかね?」と苦笑いを見せていた。

夏と冬の県大会チャンピオンチームの中心として活躍を見せた桜井。今後の進路について問うと、「サッカーは高校でやめる」と断言。「中学時代から膝を痛めていて、ここが限界だなと思って決めました」とその理由を説明した。高校卒業後は流通経済大学へ進学し、スポーツトレーナーの勉強をすることを決めているそうだ。
初の全国選手権。そこは桜井にとって夢の舞台であり、サッカー人生の集大成の場でもある。
「完全燃焼したいですね」と闘志を燃やす背番号6。すべてを懸けて挑む全国の舞台で、最高の輝きを見せてくれるに違いない。

(佐藤拓也)

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