デイリーホーリーホック

「役員人事についての記者会見全文 沼田邦郎前社長『新しい水戸ホーリーホックを、新しい力で作っていってもらいたい』 小島耕新社長『日本に誇れるクラブ、アジアに出ていけるクラブになる』」【ニュース】※無料記事

沼田邦郎前社長
「みなさん、こんばんは。水戸ホーリーホックの沼田でございます。先ほど16時から行われた弊社の取締役会において、代表取締役を辞任しました。新しい代表取締役に小島耕が就任しました。

日ごろからみなさまに多大なご支援をいただき、誠にありがとうございます。今日も天気が悪い中お集りいただき、ありがとうございます。私は2008年4月に水戸ホーリーホックの代表取締役社長に就任させていただきまして、12年1か月が経ちます。当時43歳の若さで社長という大役を務めさせていただきました。非常にみなさま方にはご迷惑をおかけしたのかなと思っています。

2008年はクラブとしていろんなものがありました。どうやって立て直すかというところからスタートしました。クラブの価値を高めるためにも、私の考え方として、『人が育ち、街が育ち、クラブが育つ』というミッションのもと、育成に携わらせていただきました。その中でアツマーレができ、新たなスタジアム構想へ発展してきました。一人一人の行動が価値を高めることが非常に大事だということで、12年間やらせていただきました。まだ道半ばではありますが、辞任する理由につきましては、昨年4月から小島が非常勤の取締役となり、9月には常勤取締役となり、事業と運営を任せてきました。

若くて優秀なスタッフが水戸ホーリーホックには増えてきています。若くて優秀なスタッフが活躍する場所を提供させていただきたいと思っている次第であります。新しい水戸ホーリーホックを新しい世代に託していく。それが今後の水戸ホーリーホックであると思っています。私は43歳で社長に就任して12年間務めてきました。そして、小島耕は現在45歳でございます。この若い力でどんどんどんどん水戸ホーリーホックをまい進させていってもらいたいと思います。なので、可能性は無限大にあります。

そして、今日スタッフも来ておりますが、小島を中心に事業を進めていってくれることを期待しています。ぜひ、みなさま方には新生水戸ホーリーホックを後押ししていただき、引き続き、温かいご支援、ご声援を賜りますようよろしくお願いします。

私は一般社団法人の代表としてスタジアム建設、そして、アカデミー拠点の建設、総合型スポーツクラブ作りなど地域に根差した活動にまい進していきたいと思っております。引き続き、よろしくお願いします。今日はありがとうございました」

小島耕新社長
「みなさん、こんばんは。小島でございます。先ほど弊社の取締役会で代表取締役社長という大役を仰せつかりました。沼田はまだクラブが本当に立ち行かない経営状況の時に社長に就き、東日本大震災やリーマンショック、さらに新型コロナという大変な時期を戦い抜いてきました。今、フロントスタッフも来てくれているのですが、彼らがこのクラブで楽しく、激しく働いているのも沼田邦郎という存在があったからだと思います。私はその大きな存在から社長という大役を引き継ぐということに非常に大きなプレッシャーを感じております。そのプレッシャーを跳ねのけられるように頑張ってまいります。具体的な目標や抱負は質問をいただければ答えさせていただきます」

質疑応答(沼田邦郎前社長)
Q.あらためて、今の心境を聞かせてください。
「辞任したということで、気持ち的には次へのバトンタッチができたと思っております。大きな仕事として新たなスタジアム作りだったり、アカデミー拠点の建設だったり、今までできなかったことを加速してやらないといけないという使命感を感じています。そこはまた新たな形で次への挑戦という感じですね。コロナ禍の影響もあって、厳しい状況でのバトンタッチということで心苦しいところがあります。これから小島耕を中心とした水戸ホーリーホックを僕らがどれだけサポートできるか。あらためて責任を感じています」

Q.小島耕新社長を後任に選んだ理由は?
「いっぱいあります。元々地元の人間ということもあります。でも、それだけではなく、彼はバイタリティーにあふれた人柄でありますし、周りの人を惹きつける明るさは持って生まれたものだと思います。さらに、営業面や事業面について詳しいですし、数字に強い。ましてや人望もある。まかせて大丈夫だと思いました。しっかりタスキを次に渡せたかなと思っています」

Q.小島新社長に望むものは?
「私だけでなく、スタッフや地域の方々と一緒に作り上げてきた水戸ホーリーホックだと思っています。なので、地域のみなさまと一緒に歩んでいくという姿勢は変わりなく続けてもらいたいと思います。とはいえ、まだまだ道半ばで、ファン・サポーターの数ももっともっと増やせると思っています。満員のスタジアムを目指してもらいたいと思います。地域あっての水戸ホーリーホックになってもらいたいと思いますし、そうなれると確信しています」

Q.12年の中で一番印象に残っている出来事は?
「いろんな人にそれを聞かれます。いろいろありすぎて分からないというか、一つ一つの印象が強くて、一つを挙げるのは無理ですね。このホーリーホックがスタートした頃と今を比べると、何が宝になっているかというと、地域のみなさまに支えられていること。それが顕著なクラブだと思っています。本当に感謝しています。まだまだ小さいかもしれませんが、いろんな形で地域のみなさまの愛に支えられてここまで来ることができました。それがこのクラブの宝だと思っています。今後もそこはなくしてはいけないと思っていますし、一番印象に残っています。出来事としては、いろいろありすぎて、この時間では話しきれないです」

Q.12年前と今で一番変わったと思うことは?
「社員の数ですね。昨日も試合前にミーティングをさせていただいたのですが、あらためて社員の多さに驚きました。私が社長に就任した頃と比べると本当に多くなりました。あと、ファン・サポーターが増えましたね。昨日の観客数は948人でしたが、就任した頃を思い出しました(苦笑)。でも、昨季の最終戦のような雰囲気を作り出せるようになったことがこのチームの成長だと思っています。『ここまで来たか』と胸にこみあげてくるものがありました。僕が最初にアウェイに行った群馬戦が強く印象に残っているんです。当時の群馬のスタジアムはファン・サポーターがすごく熱狂的で、今も盛り上がっていますが、で、その試合は最終的に逆転負けをしたんです。その時のスタジアムの盛り上がりを見て、『いつかはこうなりたい』と思ったことを思い出しました。それが水戸でもできるようになった。それが一番の変化ですね」

Q.社長を辞任することを決断した中で、ご自身の役割を終えたという考えもあるのでしょうか?
「僕の役目が終わったと思うことが何個もありました。これだけ新しい若いスタッフが増えて、いつまでも僕の意見を通すのではなく、若いスタッフがどれだけ活躍できるかが大事だとずっと考えていました。Jリーグの木村専務にも相談させていただいておりました。いつ引けばいいのかということを相談していました。決定的な出来事があったわけではありませんが、西村卓朗GMが43歳です。僕も43歳で社長に就任しました。一番活躍できるのは30代後半から40代だと僕は思っているんです。その年代の人たちが集まると、ものすごい力を発揮すると思うんです。なので、そこを邪魔してはいけないと思っていました。僕は次のステージに向かいます。12年間培ったものを新しいものにスライドさせていきます。クラブは若い人たちに託していくことが大事だと思っています。若い人たちが活躍する場って、年長者が搾取してしまうことがあります。そこを搾取しないようにしたいと思いました。新しい水戸ホーリーホックを、新しい力で作っていってもらいたいと思います」

Q.辞任を考えつつ、相談もされていたとのことですが、具体的にいつ頃から考えていたのでしょうか?
「5、6年前ですね。常に考えていました。いつまでもやれる仕事ではないですし、バトンタッチすることが大事だと思っていました。スポンサーでもあります、ケーズデンキさんの『がんばらない経営』を参考にさせていただき、経営って駅伝競走だということを加藤名誉会長がおっしゃっています。タスキを誰に託すかがとても大事で、誰に託すかということは常に考えていました」

Q.若いスタッフに託していきたいとのことですが、経営の中で若い人のパワーを重要視されるようになったのはなぜですか?
「自分の経験もありますよね。43歳で社長をやらせていただいた時、周りは不安で不安でしょうがなかったと思うんですよ。でも、周りの方に支えてもらって、ここまで来ることができました。なので、若い人たちがその経験をできれば、もっと大きな力になると思ったんです。そして、自分の息子から意見を聞くと、すごく刺激を受けるんですよ。息子は30歳になりますが、意見を聞きながら、どういった形でバトンタッチしていけばいいのか。若い人たちが活躍する場所をどうやって作るかをずっと考えていました」

質疑応答(小島耕新社長)
「今、沼田が話をした通り、このクラブの今までの道のりは平たんではなく、たくさんの紆余曲折と険しい道を乗り越えてここまで来れたんだと思います。その中でクラブは26年目のシーズンということで次のフェーズに入ってきたと思っております。我々はJ2で戦い続けているのですが、実際、ホームタウン9市町村の人口をすべて足すと72万人。ホームタウン連絡協議会の市町村を足すと108万人の人口に達します。この人口の数はモンテディオ山形さんやヴァンフォーレ甲府さんとほぼ同じです。我々のクラブの年間売り上げは約7億5千万円ですが、2つのクラブの売り上げは僕らの倍ぐらいあります。まずはそこまで到達することが目標です。

その中で今年平田海斗というユース出身選手がデビューしましたが、アカデミーの強化もすごく大事になると思っています。アカデミーの強化に関しては、施設面の充実が必要です。先ほど沼田が話したアカデミー施設を早く作っていただき、素晴らしい選手をトップチームに送り込んでもらいたいと思います。

また、普及部門に関しても、現在500人ぐらいの子供がスクールに通ってくれています。これからさらに拠点を増やして、1000人、2000人、3000人の子供たちに水戸ホーリーホックのエンブレムをつけて活動してもらいたいと思っております。

それと、ホームタウン活動は日々行っていますが、これもJリーグトップレベルの活動を目指していきたいと思っています。我々としてはまだまだやらないといけない。

一番大事なのは事業運営面において、しっかりした経営をしていくということ。トップチームが勝つことだけが目標ではないです。水戸ホーリーホックという会社が素晴らしい会社であり続けること。これが地域への一番の恩返しになると思っています。トップチームで勝つことだけを目標にするなら、大きなスポンサーや大きな株主がいればできるのかもしれません。でも、僕たちは沼田が何度も話をしたように、地域に愛され、地域に根差したクラブを作っていく。僕らの歩みは一歩一歩かもしれませんが、必ずや日本に誇れるクラブ、アジアに出ていけるクラブになる。そう信じて進んでいきたいと思っています」

Q.新型コロナウイルスの問題で、例年とは異なる状況での社長就任となります。この状況でどのように経営をしていくのかを聞かせてください。
「コロナの影響は本当に大きくて、今日の取締役会の議題にもなりましたが、我々の経営の着地点はまだ見えません。昨日も948名の観客で、水戸ホーリーホックの歴史の中でワースト7位の動員でした。もちろん、実際入場者の制限があったり、着席の条件もあったので、同じ状況ではなかったため、悲観しすぎもよくないと思いますが、経営面においてかなり響いています。その中で我々がどこで着地するか見えない中で、もっとぶっちゃけて言うと、社員の給料を払いながら運営していかないといけない難しいかじ取りを迫られています。飛び道具はありません。飛び道具があれば教えてもらいたいと思いますが、簡単な解決策はないと思っています。コロナの影響は今年に限らず、来年もあるでしょうし、もしかしたら、3年後、4年後、5年後まで続くかもしれない。その中でどうやって強いクラブを作っていくか。そこは社員のみんなと話し合っているところです」

Q.昨年はパワハラなどの問題がありましたが、今後どのようにクラブを前に進めていきますか?
「昨日、試合が終わった後の終礼で社長就任することを伝え、挨拶をさせていただきました。そこで水戸ホーリーホックという会社がワクワクする組織でいようと。勤めていてたのしい会社、人生が豊かなになる会社。待遇面もそうですし、充足感を感じられるような会社にしていこうと。サッカー界に限らず、スポーツクラブって働く環境がよくないというイメージがあります。それを水戸ホーリーホックから変えていきたい。それを社員のみなさんと約束しました。昨年のような出来事を乗り越えて、今の水戸ホーリーホックがある。そこをしっかり受け止めながら、悪いニュースを繰り返さないことが大事だと思っています」

Q.まず、何から着手していきますか?
「近年、Jリーグには日本の名だたる企業が参入してきています。僕なんか、『何者だ⁉』という扱いだと思います。でも、僕はサッカー界の基礎の部分の仕事をたくさんしてきました。ファン・サポーターがどういうことを喜ぶかということを僕は知っているつもりでいます。時代も変わっていますし、コロナ禍でファン・サポーターにサービスを提供できない状況で何をするかというところで、ファン・サポーターのみなさんの目線になって、今までできなかったサービスを提供したいと考えています。そして、今年『11のゴール』というKPIを出しました。サポーターのみなさんに対して、一番わかりやすくクラブの現状を伝えようと思って出すことにしました。僕らスポーツクラブはファン・サポーターのみなさんに頼らないといけないところがあります。少なくとも僕だけではダメですし、社員だけでもダメ。ファン・サポーターのみなさんと一緒に新しい価値観を作っていきたい。メディアのみなさんにもたくさん取り上げていただき、僕らの取り組みを広く伝えてもらいたいと思います。ギフティングサービスに関しても、僕らが日本で一番早く導入したつもりだったのですが、報道では鹿島アントラーズさんが取り上げられました。悔しかったです。こういうことを言うと、『品がない』と言われるのですが、僕はそういう思いを大事にしたい。勝ちたいですし、勝とうと思わなかったら勝てない。そうやってこのクラブを変えていきたいと思います」

Q.先ほど、話をされた「アジアを目指す」という言葉の真意について教えてください。
「トップチームがACLに行くという意味もあります。でも、日本全体というか、世界中の経済を見渡した時、茨城県は日々人口が減っている状況で、僕らが市場をどこに求めるかというと、間違いなくアジアになります。トップチームがアジアの大会に出るというだけでなく、クラブのマーケティング的にもアジアに向かっていく。子供たちの普及もアジアに向かっていく。クラブのすべての事業面でアジアに向かっていくという意味合いで『アジアを目指す』という言葉を使いました。なので、今はまだまだ足元を固めないといけない段階。いくつも飛び越えて、いきなりアジアに進出することはなかなかできませんが、社員にはそういうことを意識して取り組んでもらいたいと思います。アジアに飛び出していくことが、ひいてはアジアからホームタウンに人が集まってくることにつながっていく。それが地域を盛り上げることにつながる。アジアに出ていく=地域を盛り上げるということだと思っています」

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