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森保監督はなぜ北川を1トップで起用したのか?広島番記者・中野和也の視点【無料記事】


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▼森保監督が天皇杯でみせた凄み
森保一のサッカーには、常に「エンタテインメント」派からの批判はつきまとう。たとえば2013年、リーグ戦連覇を果たした時は多くのジャーナリストたちから「面白くない」というレッテルを貼られたものだ。

その年の天皇杯準決勝「広島対FC東京」戦、広島のサッカーをよく知るランコ・ポポヴィッチ監督の対策に苦しみ、0-0で引き分けてPK戦で勝ち上がったことがある。相手はフォーメーションを広島と合わせて中央を固め、広島にボールを持たせ、パスを引っ掛けてのカウンターを狙っていた。その戦略にわざわざはまって、前にかかって、裏にスペースをあける。ロマンティストなら、きっとそうしただろう。しかし、森保一はリアリストだ。「1-0で勝てるチームが一番強い」といって憚らない指揮官である。相手の狙いがわざわざわかっているのに、「面白いサッカーをやろう」と勢い込んでいくタイプではない。結果、ジリジリとした消耗戦が続き、両チームともそこまでのビッグチャンスをつくることもなく、120分を終えてPK戦で広島が勝利を握った。

確かに見る側にとっては退屈な試合だったのかもしれない。しかし、その責を一方的に広島が負わされる必要もない。サッカーのエンタテインメントは両チームでつくるもの。例えばFC東京が攻撃にかかって広島が守備に軸足を置いていたとしたら、それはそれで面白い噛み合わせになる。もし、どちらかのチームが先に点をとったとしたら、内容は一変したはずだ。なのに、普段のサッカーを捨てて守備から入ったFC東京よりも、対策をはめられた側の広島が娯楽性の欠如で批判されたのは、納得がいかなかった。ゴール前のスリリングなシーンが少なかったのは、お互いさまなのだ。

ただ、ここで言いたいのは、メディアのサッカーに対する捉え方の問題ではなく、森保一という監督の胆力だ。彼は「面白いサッカー」を捨てる勇気を持つ、ということだ。そして「任せる。その上で自身が責任をとる」ということができる器を持っているということなのだ。

 

▼二面性を意図的に使い分ける
例えば、高萩洋次郎というタレントがいる。独創的な発想を持つ、いわゆるファンタジスタである。自身のサッカー観に確固たる信念を持つ彼は、たとえ3割の成功確率しか見込めなくても「成功すれば確実に1点」という状況であれば、チャレンジすることを厭わないプレーヤーである。

筆者は、高萩の発想豊かで実は論理的なプレーが好きだ。2008年のJ2・広島時代に見せた娯楽性と実効性に満ちた活躍は忘れられない。14得点7アシストという数字以上のインパクトを見せてピッチて躍動。一方でインタビューでは自身のプレーについて明確な説明を展開し、我々が驚くようなプレーの選択が彼にとっては必然だったことを理解させてくれた。ただ、2009年にJ1復帰した以降の3年間では11得点6アシスト。数字上はそれほどのインパクトを残せないでいたのも現実である。

しかし2012年、彼は4得点12アシストと抜群の成績で広島の初優勝に貢献し、ベストイレブンにも選出。翌年も3得点10アシストで連覇の主役となった。2014年はやや成績は下降したが、それでも3得点6アシストだ。FC東京に移籍した後は2年間で1得点4アシスト。もちろんポジションや役割が違うわけだから単純比較はできないし、FC東京でも彼は間違いなく主役である。ただ、得点に直接絡んでいた量でいえば、間違いなく広島時代だ。

つまり、高萩の躍進には、2012年に広島の新監督に就任した森保一の存在を考えないわけにはいかない。この年、森保は高萩にこんな言葉を贈っている。

「アイディアをどんどん出していい。その代わり、やるからには成功させろ」

実は、高萩の気持ちの中には「チャレンジ」はない。前述した「3割の確率でも」というのは見ている側の判断基準であって、彼は「パスを通すつもりで出しているから、チャレンジではない」と言い切る。だが戦略や戦術を練り上げる側からすれば、細かく規定したくなる。動き方、パスの方向やタイミング、状況判断などを指示し、枠にはめたくなるものだ。リスクを軽減したいというマネジメント側と創造性を発揮したいプレーヤー側と、利害関係はなかなか一致しない。

森保一というマネジャーは、そこで枠を設けない。実は約束事は細かく、ポジションどりに対する考え方も厳しいのだが、そこから逸脱したプレーになったとしても、彼は構わないのだ。結果を残しさえすれば。

「モチベーションがあがりますよね。ボールを奪われない(安全な)パスを選択しろと言
われるよりも」

当時、高萩は笑顔で充実感を語っていた。自分のサッカーが表現できる喜びにあふれていた。

一方で2014年、崩壊した広島の守備を立て直すために、ボールを失ったら自陣でブロックを組んで引きこもるサッカーを取り入れたことがあった。シュートシーンがほとんどなく、攻撃を捨てたようなやり方に各所から疑問が呈された。しかし、森保監督は批判を全て自分一人で受け止め、責任を背負う姿勢を見せる。そしてチームとして守備を立て直すことに成功した広島は翌年、平均得点2.15・平均失点0.88という見事なチームをつくりあげて優勝を手にしたのだ。

選手に自由を与える。一方で徹底して創造性を排除する。相反する二つの方向性を自在に使い分ける。それがこの監督の不思議な部分である。

▼驚いた森保監督の選択
森保監督の現役時代の師匠であるハンス・オフトやスチュワート・バクスターは、チームの中でユニットをつくり、細かな決まり事を駆使してソリッドなチームをつくった。一方で1990年ワールドカップで「カメルーン旋風」を巻き起こしたロシアの名将=ヴァレリー・ニポムニシは2001年、広島にクリエイティビティを持ち込んだ。組織的な守備は最後までつくれなかったが、娯楽性に満ちたコンビネーションサッカーを構築、30試合61得点という破壊力に満ちたチームを創り上げた。そう考えると、現在の日本代表監督は現役時代の監督たちから学んだエッセンスを融合させてスタイルを確立させたといっていい。

もちろん、指導者になってからの師匠ともいうべきミハイロ・ペトロヴィッチからも学んだことは多い。が、ペトロヴィッチは紛れもなく天才だ。彼が指導すると、広島も浦和も札幌も選手たちが巧くなるし、チームも彼色に染まる。しかし、天才の手法を秀才が真似しても、決してうまくはいかない。苦労人の森保はそれがわかっていたのだろう。広島の3度の優勝は、森保がペトロヴィッチ監督時代からの継続すべきところと改革すべきところを明確に仕分けしてチームを整理したことに要因がある。彼のリアリストであらんとする面目躍如だろう。

筆者が驚いたのは、例えばアジアカップ・サウジアラビア戦での支配率30%を切った戦いでもなければ、イラン戦での3-0の勝利でもカタール戦の敗戦でもない。日本での親善試合で2列目に中島翔哉・南野拓実・堂安律という楽しいが(プレーぶりが)ヤンチャな3人を並べ、彼らに伸び伸びと攻撃させたことだ。しかもフォーメーションは4-2-3-1。広島時代は一度もやったことのない布陣である。東京五輪チームでは3-4-2-1でやっていることから考えても、彼のチーム構成に対する考え方はシステムではなく選手優先。わかっているつもりではあったが、それを改めて感じさせた。

知り合いのジャーナリストとも話したのだが、攻撃力は期待できても守備に難のあるこの3人を同時に並べて使うのは勇気がいる。例えばザッケローニ監督が2列目に並べたのは、香川真司・本田圭佑・岡崎慎司。前線での守備に不安を残す香川や本田をサポートするかのように、岡崎はよく走ってチーム全体を助けていた。西野朗監督も香川や乾貴士と並べて、攻守に走れる原口元気を起用していた。そう考えれば、森保監督の起用がいかに大胆か。しかも、だからといって3人に守備を免除するわけでもない。実際、スキルはまだまだな部分はあるが、3人は頑張って自陣に戻って守備に参加し、そこから攻撃へと走る。その努力があるからこそ、攻撃の自由が与えられていることを知っているからだ。

もちろん彼らとて結果を出せなくなれば、必ず厳しい立場に追い込まれる。広島時代、パフォーマンスが落ちたと判断すれば、絶対的なエース・佐藤寿人も、ピッチ上の監督である森崎和幸も、チームのエンジン・青山敏弘もスタメンから外した。2015年、途中出場だけで8得点を記録した浅野拓磨も、チーム戦略上で途中からの方がいいと判断すれば、先発で起用することもなかった。

 

▼北川を1トップで起用した意図
そんな指揮官の特性を理解した上で、アジアカップの起用を考えたい。

例えば、北川航也である。大迫勇也が負傷したあとのCFを彼がずっと任されていた。そして彼は、プレーが物足りないとずっと批判を受けていたが、それでも森保監督は大迫に次ぐセカンドチョイスとして北川に期待し続けた。

北川は清水ではドウグラスとの2トップで結果を出した選手であり、1トップよりもむしろトップ下で輝きを見せる可能性を感じていた。特長は瞬間のスピードであり、両足でのシュートであり、前を向いての突破だ。クサビを受けるのではなく3人目で飛び出す方が彼のスタイルにはあっている。

もちろん、指揮官がわかっていないはずがない。広島時代、常に相手の研究に余念がなく数試合前に遡って映像を貪り尽くした監督だ。北川の特長はわかっているし、それを見越した上で1トップであえて使ったのだ。やれると判断したのである。

もし浅野拓磨がケガもなく代表でプレーしていれば、大迫の次のチョイスは浅野になっていただろう。彼のスピードで相手のラインを下げさせ、破壊力のある2列目で仕留める形である。そして北川の瞬間のスピードを活かせば、浅野同様に相手のラインの裏をつけると指揮官は踏んだ。しかも彼は、うまくいかなくても愚直に何度も繰り返せるメンタリティーを持つ。たとえばオマーン戦の前半は彼の動きによってラインを下げさせ、南野が前を向いてフリーでボールを持てるシーンが増えた。たとえボールが来なくても、何度もそれを繰り返すことによって決定機を数多く創造。南野が決めていれば北川への評価もまた違ったものになっていたはずである。

FWはゴールでこそ、周囲から評価される。だが、チームを司る監督にしてみれば、得点は誰が決めてもいい。要はチームに貢献したか否か。オマーン戦で北川は指揮官の評価を高めた。だからこそ、ベスト8のベトナム戦で彼は先発したのである。武藤嘉紀の出場停止は関係ない。彼が使えないとなれば、南野をCFにして柴崎岳をトップ下で起用すれば計算は立つ。ボランチにはウズベキスタン戦で活躍した塩谷司がいるわけで、ベトナム戦で大きな破綻が起きるとも思えない。

 

(後編に続く→『森保監督は西郷隆盛に近い。広島番記者・中野和也が記すその理由とは?』)

 

中野和也(なかの・かずや)

1962年3月9日生まれ。長崎県出身。居酒屋・リクルート勤務を経て、1994年からフリーライター。1995年から他の仕事の傍らで広島の取材を始め、1999年からは広島の取材に専念。翌年にはサンフレッチェ専門誌『紫熊倶楽部』を創刊。1999年以降、広島公式戦連続帯同取材を19年目に入った。著書は『サンフレッチェ情熱史』『戦う、勝つ、生きる』(ソルメディア)。最近はアウトドア熱が復活。今年は登山も30年振りに復活させる予定です。
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