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ザ・J2クラブの水戸が首位。2000年に取材した「水戸vs浦和」から思うこと(海江田哲朗)[えのきど・海江田の『踊るアルキバンカーダ!』]七段目

タグマ!サッカーパック』の読者限定オリジナルコンテンツ。『アルビレックス散歩道』(新潟オフィシャルサイト)や『新潟レッツゴー!』(新潟日報)などを連載するえのきどいちろう(コラムニスト)と、東京ヴェルディの「いま」を伝えるWEBマガジン『スタンド・バイ・グリーン』を運営する海江田哲朗(フリーライター)によるボールの蹴り合い、隔週コラムだ。
現在、Jリーグは北は北海道から南は沖縄まで58クラブに拡大し、広く見渡せば面白そうなことはあちこちに転がっている。サッカーに生きる人たちのエモーション、ドキドキわくわくを探しに出かけよう。
※アルキバンカーダはスタジアムの石段、観客席を意味するポルトガル語。


いまでは水戸のフラッグが強く見える。

 

4月3日、味の素フィールド西が丘。

J2第7節、開幕から苦戦の続く東京ヴェルディは、水戸ホーリーホックをホームに迎えた。このゲームも東京Vの旗色は悪く、辛うじて勝点1を手にする。水戸のシステマティックな守備、ハードワークの水準の高さ、鋭いカウンターは明らかに東京Vを凌駕していた。

そして、第9節を終了した現在、水戸は首位に立っている。あの水戸が首位だなんて――。感慨に込められた、僕だけの「あの」がある。

もう19年も前のことになる。ライター稼業に入って、3、4年経った頃、食いつないでいた情報誌の仕事に少々飽きてきて、駆け出しの身ではあまりぜいたくも言えないのだが、もっと前のめりになれる継続的なテーマを見つけようとしていた。

いろんなラッキーが重なり、2000年、J2に降格した浦和レッズの1年間を追うことになった。編集者と数人のライター、カメラマンでチームを組み、その成果をまとめてムック本を出そうという目論見である。採算がどうなっていたのか不明だが、いまでは考えられない、ゆとりのある仕事だった。

初めて体験するサッカーの現場は、ギラギラしていて刺激的だった。それまでただ好きで見ていたJリーグの内面を垣間見、ドキドキしっぱなしである。よい出会いにも恵まれ、自分の世界がぐんぐん広がっていくように感じた。毎日が楽しかった。

一方で、シーズンが深まるにつれ、ずっとこの仕事を続けていくのはちょっと無理かもしれないと考え始めていた。Jリーグのメインストリームにあり、その個性を際立たせていた浦和は、僕には眩しすぎた。万が一、昇格を逃すようなことがあれば2年目に突入せねばなるまいが、区切りがついたところでこれっきりかなという気がしていた。その前の年、軽はずみに結婚しており、お金を稼いで生活を安定させることが第一の目標だったというのもある。

2000シーズン、岡田武史監督の率いるコンサドーレ札幌がトップを快走し、翌年の途中から浦和に移籍する快速フォワード、エメルソンが猛威を振るっていた。大きく水をあけられた2位の浦和は、3位の大分トリニータに肉薄され、リーグ終盤は一戦も落とせない状況に追い込まれる。当時の昇格枠は上位2チームで、プレーオフ制度は存在しない。

11月5日、日立市民運動公園陸上競技場。J2第41節、浦和は水戸のホームに乗り込む。前節はモンテディオ山形に延長Vゴール(90分の勝利で勝点3、延長の勝利で勝点2というシステム)の末に敗れており、もはや背水の陣である。外野である僕も緊張していた。ところが、だ。現地に着いて、目を血走らせているのはレッズサポーターばかり。のんびりしていて、牧歌的を絵に描いたような場所である。へなへなと戦意が萎えるのを感じた。警備もじつにテキトーで、地元の人だろうおばちゃんは「こっちから中に入りたいの?本当はダメだけど、急いでいるならおいきなさい」と勝手に通してくれた。

 

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