J論プレミアム

田代有三はなぜオーストラリアでセカンドキャリアをスタートさせたのか?元日本代表が踏み固める第2の人生とは

 

元日本代表の田代有三(37)が、オーストラリアで2年のプレーの後、スパイクを脱いで、はや1年の月日が流れようとしている。彼は、現役最後のクラブとなったウーロンゴン・ウルヴズ(NPLNSW1・NSW州1部/オーストラリア2部相当)の本拠地ウーロンゴンの地に今も暮らす。田代にとってのセカンドキャリアの初年度、彼自身に取ってのオーストラリア通算3年目は、彼自身も思いもよらない形で転がり始めた。現地取材の話を前後編2回に分けお届けする。
(取材・文・写真 タカ植松)

 

▼久しぶりの再開はいきなりのサプライズから始まった

7月中旬、暦の上では冬なのに暖かいオーストラリア最大の都市シドニーに降り立った。空港からは、レンタカー。予約していた車種から謎のグレードアップの一人旅に不似合いのSUVで、一路南下、ウーロンゴンを目指す。シドニーから車で1時間半の、日本では絶対見られない類の何ともオーストラリアらしい景色に溶け込む美しい街ウーロンゴン。この街こそ、田代有三のセカンドキャリアの起点かつ現時点での拠点だ。

シドニー到着の前後、田代本人と現地で落ちあう時間と場所を決めるメッセージのやり取りをしていた。その中で、「午後は2時40分までなら大丈夫です」との希望を伝えられた。これを見て、同じくオーストラリアに暮らす身として、親近感を覚えると同時に、現役を終えたばかりの元日本代表選手の現在の顔の一つがその台詞から垣間見えた。

その「午後2時40分」まで、しっかり時間が取れるようにと指定されたウーロンゴン中心地の待ち合わせ場所で、およそ1年半ぶりの再会を果たした。颯爽とした長身でその存在感は変わらず健在だが、その表情は、昨年終えたばかりの選手としてのキャリアを「まったく後悔はない」と言い切るだけに、とてもすっきりしている。

2017年、初めて取材した頃の田代は、現役フットボーラーとして、その実績から請われて入団したクラブでの新しい挑戦の真只中にいた。“助っ人”としてのプレッシャーや責任を感じながら、慣れない異国での現役生活を送っていたころも、持ち前の物腰の柔らかさは変わらない。しかし、その時には現役選手特有の研ぎ澄まされた表情をしていたことを記憶している。今の彼の表情は、鋭さというより柔和な感じがする。

カフェの席に付いて、そんな、「元日本代表・田代有三」の「今」について尋ねると、「実は、今、(ウーロンゴン・)ウルヴズのアシスタント・コーチやっています」と、のっけから思いもよらない答え。これまで一貫して「コーチングは興味がない」と言ってきた男からのいきなりのサプライズだった。

全豪各州で繰り広げられる州1部リーグNPL、その中でも主要3州(NSW,VIC,QLD州)の動向は可能な限り、チェックしてきた。さらに言えば、前回の取材以来、田代の古巣ウルヴスのプレス・リリースは定期的に受け取っている。筆者が知る範囲で「田代、ウルヴスのアシスタント・コーチ就任」というニュースはどこでも目にすることはなかった。

「そうなんですよね、特になんか報道されたりってこともなかったですね。それと、実は、先週、監督のルーク(・ウィルクシャー/元オーストラリア代表)がモスクワに行って不在の期間、一時的に監督代行をやったんですけど、もう大変でした(苦笑)。練習を全部自分で仕切らなきゃいけないし、当然、全部英語だし・・・」。
なんと、コーチだけに留まらず、暫定ながら監督デビューも果たしているというから驚いた。そもそも、コーチング願望が無かったはずなのだが。

「確かに、指導者になることはまったく考えていませんでした。セカンドキャリアはコーチングからっていうのがおそらく(セカンドキャリアを考える際の)一番自然な流れなのかもしれないけど、自分はなんか違うことをやりたいなって、ずっと思っていたくらいですから」。

 

 

▼コーチ初年度から最高の結果を得る

それでも、結果的にセカンドキャリア初年度に生業として選び、現在の生活の糧を得ているのはコーチングなのだ。何が彼を翻意させたのか―それを聞かずして先には進めない。

 

※この続きは「サッカーパック」に登録すると読むことができます。

(残り 1854文字/全文: 3602文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

日本サッカーの全てがここに。【新登場】タグマ!サッカーパック

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ