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前田遼一の更なる変貌。磐田、日本代表での後悔を糧にして【アテネ世代の今】

79年生まれを中心とした「黄金世代」に対し、81年生まれを中心としたアテネ世代は「谷間の世代」とも呼ばれていた。
その「アテネ世代」だが、現役を続ける選手はもちろん、サッカーとは違う場所でセカンドキャリアをスタートさせたりなど多士済々。
そんなアテネ世代に詳しいライター・元川悦子が複数回に渡り「アテネ世代の今」についてをJ論プレミアムにてお届けする。

 

▼悩める時期を脱するきっかけとなった指揮官の言葉

小野伸二(琉球)や遠藤保仁(G大阪)ら間もなく40歳の大台を迎える79年生まれの「黄金世代」が現役に強いこだわりを見せる中、「谷間の世代」と言われてきた1世代下の81年組も彼ら以上に現役続行への意欲は強い。しかしながら、今季に入って出場機会が大きく減ったり、下のカテゴリーへの移籍を余儀なくされる選手が急増。「30代後半の厳しい現実」に直面している。

今季からJ2・FC岐阜でプレーする前田遼一もその1人だ。2000~2014年までジュビロ磐田、15~18年までFC東京でプレーし、J1通算433試合154ゴール、J2通算37試合17ゴールという偉大なキャリアを築いた男は、岡田武史監督率いる日本代表時代にコーチを務めていた大木武監督の誘いを受けて移籍を決断。FC東京での不完全燃焼感を晴らすべく、新たなチャレンジに打って出た。

だが、2月24日のJ2開幕・モンテディオ山形戦を皮切りに、序盤6試合でベンチスタートを強いられる。4月3日のヴァンフォーレ甲府戦で念願の初スタメンをつかんだものの、結果を出せずに後半22分で交代。そこから4戦出番なしという苦境に陥った。
「大木さんのサッカーは今まで習ってきた中でも本当に独特で新鮮でした。サッカーに対する考え方や試合への挑み方もそうだし、毎日の練習も圧倒的にボール回しが多かった。今までは『ボール回しは練習の前にやる』というイメージだったけど、それをトコトンやり続ける内容で大きな刺激を受けましたね。

ただ、僕自身はあまり細かいプレーが得意な選手じゃない。大木さんのサッカーに適応しようとして中盤に降りてボールを受けたりいろんなトライをしてましたけど、結果的にミスにつながったり、前で張ってタメを作るような自分の持ち味が出にくくなっていた。今季序盤は大木さんのサッカーに貢献できていなかったなと感じますね」と前田は神妙な面持ちで言う。

苦悩するベテランFWに大木監督は「お前のやりたいようにやっていい」と声をかけたという。それが契機になって「自分はゴールに近いところで勝負する選手なんだ」と役割を考えを改めたところ、5月5日のFC琉球戦で途中出場のチャンスを与えられ、待望の今季初得点を奪う。続く12日のツエーゲン金沢戦でも後半35分間で2ゴール。これを機に出場機会は着実に増えていった。けれども、彼自身とは対照的にチームは金沢戦から黒星街道に迷い込む。そして6連敗となった6月15日の大宮アルディージャ戦の後、大木監督の解任が決定。チーム最年長FWは重い責任を痛感したという。

 

 

▼ジュビロ磐田、日本代表での後悔をバネにして

直後に就任した北野誠監督はカマタマーレ讃岐を8年指揮した「J2のプロ」。サッカースタイルも堅守速攻主体へとシフトさせた。昨季優勝の松本山雅を筆頭に、J2は守備に比重を置いたチームが結果を出す傾向が強い。磐田時代にJ2経験のある前田はそのことをよく分かっていた。
「北野さんになってから速い攻めが基本になりました。そのスピード感についていかないと出場できないと思います。自分みたいに爆発的な速さがない選手はチームの1つの駒としてしっかり動け続けないといけない。そのやり方に適応することだけを日々、考えてやってます」と彼は気合を入れている。

献身性を前面に押し出すチーム最年長FWに北野監督も信頼を寄せている。7月に助っ人FWジュニオール・バホスが加入するまで最前線の柱に据えていたほどだ。現時点でのゴール数は5点だが、その数字を引き上げ、岐阜のJ2残留のけん引役になることが、ここからの前田に託された命題だ。
「僕は今季だけじゃなくて、東京の最後の方もずっと1年契約だったんですよ。『今年で終わるかもしれない』という気持ちはつねにあるし、『悔いを残したくない』って思いも強い。今は1日1日、自分が納得できるようにトレーニングして、試合をしていくことを積み重ねていくしかないんです」

前田が「後悔したくない」と語気を強めるのは、過去への反省があるからだろう。ジュビロ磐田入りした新人時代には、中山雅史(沼津)と高原直泰(沖縄SV)という絶対的2トップが君臨。もともとドリブルを得意とする攻撃的MFだった彼はFW起用への戸惑いもあり、出番を増やせず、プロ4年目の2003年まで定位置確保に時間がかかった。
「当時、中山さんやタカさんを間近で見て学べたことは本当に大きかった。タカさんとは試合前日に同部屋になることが多かったですけど、『明日は活躍して点取る』といったオーラが漂ってました。前日から特別に何かしてたわけじゃないし、お風呂に浸かってリラックスして早く寝るといったルーティンをこなしてるだけだったけど、僕にはそこまでのプロ意識はなかったですからね(苦笑)。ただ、タカさんから直接何かを聞いたり、アドバイスをもらうこともなかった。当時の自分は『練習で全てを出してやろう』と考えるだけで満足してたのかな…。貪欲さが足りなかったですね」と彼は苦笑する。

昨年までFC東京でともにプレーし、この夏レアル・マドリードへ移籍した18歳の久保建英らの意識の高さと貪欲さを目の当たりにし、前田は時代の変化を痛感している。

 

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