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僕のサッカー人生は一度終わっているようなもの……GK林彰洋が初めて明かす知られざる苦悩【サッカー、ときどきごはん】

 

2009年、まだ大学生だった林彰洋はイビチャ・オシム監督率いる日本代表の合宿に招集された。若い大型GKの登場に注目と期待が集まる中、林はJリーグを経ることなく直接海外クラブを目指す。

ヨーロッパの強豪国には行かなかった林の情報はなかなか伝わることはなかったが、あるとき急に帰国し清水エスパルス入りが決まった。その後サガン鳥栖を経由してFC東京へ。ずっとゴール前での存在感を見せている。

林はなぜヨーロッパを目指したのか。そしてそこでは何が起きたのか。傍目には遠回りしたように見えるそのキャリアで、林はどんな経験をしてきたのかを聞いた。

 

▼人間不信になっていた時期があった

僕は大学からJクラブを経由しないで直接海外のクラブを目指したのですけれども、あのころが人生の中で本当に一番辛かったかもしれないですね。完全に乗り越えられたかどうかは別として、そこを越えようとしたことで自信にもなったし、くよくよしないというメンタリティを身につけられました。

大学時代にU-20ワールドカップに出場し、日本代表の合宿に呼んでもらったり、U-23日本代表を経験させてもらいました。2009年、21歳だった大学4年生のタイミングでユニバーシアードのセルビア大会に出場して、大会を終えてそのままヨーロッパに残ることを承諾してもらい、向こうのクラブをトライアウトみたいな形で回りました。

大学1年生の時から海外に行くという希望をずっと持っていたので、いろいろな人とのつながりを得て、海外のクラブを常に探していました。2008年もフランスのメスに行ったのですが、1週間ちょっとぐらいトレーニングに参加しただけで、本格的な入団テストという形ではなかったですね。

この先進路を決めるとき、成り行きに身を任せていたらいけないだろうということは感じていました。Jリーグのクラブからもいろんな話をいただいて練習参加もさせてもらったのですが、やっぱり海外への思いを拭いきれなかった。

自分の評価がゼロベースになった状況で、いかに評価を勝ち取れるかというところにチャレンジしたかったのです。日本でプレーすると、少なからず世代別代表に入ったり日本代表に絡んだことがある実績をプラスに捉えてくれる人が多かったのです。

プラスに捉えられるほどの技術が自分にあるのかどうか、自分自身では測れませんでした。ではフラットな見方をしてくれる環境に行ったらどうなるのだろうかと考えたのです。もちろん海外に売り込んでもらうときには仲介人が「日本代表に絡んだことがある」ということを伝えているのでしょうけれど、ヨーロッパで話を聞く人にとっては「だから何?」という感じだったのです。

その中でいかに現地の人に「この選手はちゃんとプレーできる」と見てもらえるか、評価してもらえるかというのが大事だと思いましたし、そういう挑戦をやってみたいという気持ちがありました。

 

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