J論プレミアム

リーグ中断期間中に現れた天才SNSJリーガー(えのきどいちろう)

タグマ!サッカーパック』の読者限定オリジナルコンテンツ。『アルビレックス散歩道』(新潟オフィシャルサイト)や『新潟レッツゴー!』(新潟日報)などを連載するえのきどいちろう(コラムニスト)と、東京ヴェルディの「いま」を伝えるWEBマガジン『スタンド・バイ・グリーン』を運営する海江田哲朗(フリーライター)によるボールの蹴り合い、隔週コラムだ。
現在、Jリーグは北は北海道から南は沖縄まで58クラブに拡大し、広く見渡せば面白そうなことはあちこちに転がっている。サッカーに生きる人たちのエモーション、ドキドキわくわくを探しに出かけよう。
※アルキバンカーダはスタジアムの石段、観客席を意味するポルトガル語。

 

Jリーグ中断期間中に現れた天才SNSJリーガー(えのきどいちろう)[えのきど・海江田の『踊るアルキバンカーダ!』]三十ニ段目

 

■別の方向性で目立つ存在に注目

新型コロナ禍でサッカーカレンダーが空白になり、JクラブはGW明けまでいったんチーム解散である。当然のことながら選手は(僕や読者のあなたと同じように)ステイホームだ。自宅。私的な空間。SNS等を使った発信もパーソナルなものになる。今月、僕は「サッカー選手発のパーソナルな発信」に注目したいのだ。

僕は先月の当コラムで「アルビレックス新潟の関東サポ」がリレー形式でチャントを歌い継いだ現象を取り上げた。個々のサポーターは皆、自宅のキッチンやリビング等、パーソナルな空間でチャントの一節を歌っていた。「パーソナルな営為がひとつに繋がる」という発想は非常にコロナ禍の時代にふさわしいと思うのだ。ウイルスの脅威によって、今、世界じゅうの人が個々に分断されている。みんなが孤立している。みんなが当事者になっている。

東日本大震災との比較をしたい。あのときも大きな災厄であったが、日本全体を考えるとまだ当事者じゃない人がいたのだ。例えば西日本在住の人がすぐボランティアに動き出した。物資もマンパワーも被害がなかった地域から送り込めた。そして、人が集まる力が大変有効だった。みんなじっとしていられなかった。あのときのスローガンは「絆」だ。集まる力。繋がる力。

が、コロナ禍の今は集まれない。みんなが孤立してるからこそSNS上でひとつに繋がろうとする。オーケストラの団員が各々の自宅で演奏し、全体で「ボレロ」を奏でる。Jリーグのサポが一節ずつチャントをリレーする。みんな孤立しながら当事者として戦っている。

が、今月は別の方向性を見たい。繋がろうとしているのかいないのかわからないけど(たぶん大きな意味では繋がろうとしているのだろうけど)孤高を貫くような方向性だ。

新型コロナ禍で孤高の表現、というと大げさかもしれないが、独自の立ち位置が際立っている人がいる。非サッカーの例を挙げると元AKBの秋元才加だ。ずっと一人で踊ってる動画をアップしている。意味がわからない。で、まぁ、芸能人だから「歌つなぎ」的なフリが色々と舞い込むらしい。こうツイートした。「本当にごめんなさい。毎日一生懸命生きているだけでも結構なカロリーを消費しているので、最近よく見かけるリレーとかバトンを私に回すのを遠慮していただけると有り難いです」「私は隅っこで誰にも関わらず一人で踊っていたいのです」

同じく非サッカーではアイドルの吉川友の「粒を数える」謎の行動も話題を呼んだ。僕の年代では吉川友はもちろん、秋元才加だってそんなに詳しいことは知らないのだ。それでも何か魅かれる。独特だ。そういうあり方は認めたいなぁと思う。

 

▼圧倒的存在感を放つ栃木SCのある選手

ではサッカー界の「孤高の発信者」は誰だろうという本題である。まず、2人のビッグネームが思い浮かんだ。最初に断っておくが、この2人は繋がりを拒否しているわけじゃない。が、立ち位置が強烈なのだ。もったいつけていてもしょうがないから、申し上げると中村憲剛と内田篤人だ。僕はこの2人のことは記憶に残すべきだと考える。

 

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