「仙台で僕が犯したかもしれない一番大きなミス」理想高きリアリストの肖像―木山隆之が語る叩き上げ監督道【前編】
「また下積みだな……」これまで水戸ホーリーホック、ジェフユナイテッド千葉、愛媛FC、モンテディオ山形などの監督を歴任し、自らを「叩き上げ」と称する木山隆之氏は、昨季のベガルタ仙台での指揮をかえりみて、そう吐露する。不思議とその目は自信と誇りに満ちているように感じられた。
戦略家? 情熱家? リアリスト? ロマンティスト? 現場からは手腕を高く評価する声が多く聞こえてくるが、監督としての実像はいまだベールに包まれている。今まで率いてきたチームについて語ってもらいながらイバラの道ともいえる監督道を振り返ってもらった。約3万字の濃密な回顧録を3回に分けてお届けする。
(取材・構成/ひぐらしひなつ)
※インタビュー取材は2月上旬に行いました
■仙台で起きたこと…最終的に跳ね返すだけの力が僕にはなかった
–木山さんとはこれまでに、率いてこられたいろんなチームで、わたしが番記者をやっている大分と、何度も印象深い対戦がありました。
そうですね(笑)。大分とはいろんな意味でいろんな試合をした記憶があります。
–直近の対戦は仙台を率いていた昨季J1第31節。それまでは4-3-3でやっていた仙台が奇襲的に3バックでやってきて、大分を0-2で下した一戦でした。
その前にホームで9月に対戦したときは、仙台のチーム状況が非常によくなくて。怪我人が多かったり、怪我から復帰していたメンバーもコンディションが全然上がっていなかったり、それでも試合に出さざるを得ないようなチーム状況で、0-3で負けたんですよね。そのときに、J3からずっとやってきた片野坂さんと、僕が去年率いた仙台と、積み上げてきたもののものすごく大きな差を、試合をやりながら感じていて。その状況の僕たちが最後にどういうかたちでシーズンを終えるか。ひとつでも上の順位で、と考えたときに、正直、がっぷり四つで自分たちのやりたいことをやりに行っても勝てないなと思ったんです。
で、コーチングスタッフたちともたくさん話をして。その時点では次のシーズンも僕がやる予定だったので、「いや木山さん、来季に向けて積み上げていくことが大事だし、4-3-3に戻して戦っているいま、ここで3バックにするのはどうかな」っていう意見もあったんだけど、僕としては勝負にこだわる中で、大分とのチームの完成度の差を覆すには、いま自分たちが持っている強みを出して守備をベースに戦うという方法を採らなくては勝てないだろうという結論に至ったんです。
それが確かに狙いとしてはハマって勝利を得ましたけど、それと同時に逆に、そういう手を打たざるを得ない自分たちの状況をすごく感じた試合だった。そういう意味で、勝った喜びと、これから先に待ち受けているいろんな大変なことを努力で乗り越えていかなくてはならないんだなという両方の思いで、ただ単純に勝利を喜べなかった印象でしたね。
–仙台は一昨年まで渡邉晋監督(今季からレノファ山口監督)がしっかりしたスタイルを築いてきましたが、昨季は木山監督に交代しました。木山さんがJ2でやってきたことを考えると大きなスタイルの転換があるのかとも思いつつ、開幕から見ていると渡邉監督のスタイルを継承する部分もあるのかなと思ったりしていたのですが。
渡邉監督とは僕も親しくて、僕が山形を率いている頃からよく話したり食事をしたりしていたんだけど、そんな彼のあとを引き継ぐことになった。彼が監督になってから、ボールをしっかり握って3バックを主体に3-4-3のチームを何年か続けてこられて、2、3年前くらいに、いい選手もたくさん擁して、成熟してひとつのピークを迎えました。その中でチームがもうひとつ先に行きたいと考えていたときに、主力がバサッといなくなって。新しい選手たちを迎えてまた3-4-3でスタートしたんだけど、替わった戦力のぶんの力量差が大きすぎて上手くいかなかった。で、残留をメインの目標に、仙台が長年培ってきた4-4-2でしっかり守って攻めるというスタイルで、それを勝ち取ったと思うんですよね。
そこからクラブがどういう経緯で僕を選んだかというのを、僕は100%は知りません。もちろんオファーを受けたときにはそういう話もしますけども、具体的に細かく隅々まで、すべてを知らされたわけではない。ただ僕としてはJ1のチームでチャレンジをするにあたり、大きな方向性としてここからまた先に進んでいくというイメージを持って、新しい選手たちも迎えながらチームを作りはじめようという認識でいました。
そこで大きな誤算だったのは、軸にしたいと考えていた選手たちがシーズンのほとんどを戦えない状況でチーム作りをしなくてはならなかったこと。自分がイメージしていたものと実際に仙台に入ってから感じたことのギャップも多少あったし、これを埋めていくには本当にしっかりとした計画を立てながらトレーニングして試合を積み重ねていかなくてはならないなと。同時に、1年目はスタイルやいろんなものが変わっていく中で残留を勝ち取らなくてはいけない。それは本当に大変な仕事だと思っていました。チーム作りと勝点を取っていくということの両輪が上手く回ってくれればいいな、回さなきゃいけないなという思いでキャンプに入ったんですけど、いきなり怪我人がたくさん出てしまった。まずルヴァンカップのアウェイ浦和戦で大敗したあと、リーグ開幕のホーム名古屋戦をひとつ戦って、正直これは怪我人が戻ってくるまではちょっと耐えなくてはならないなと感じました。特に前線の選手たちが多く怪我してしまったので、しっかり耐えて勝点を取っていくという試合を少なくとも5試合、6試合くらい続けて1ヶ月半は粘らないと、ここで勝点を取れないと本当に最初から残留を目指す戦いになってしまうなと。
そう思ったタイミングで、コロナによる中断期間に入った。正直、あのときは「これでちょっと時間が出来る」と思いました。チーム作りをはじめたところで怪我人が多発したけど、これで怪我人が帰ってくる時間も少し稼げたし、しっかりチームを作れるなと。ただ、そこで自分の中で、ひょっとしたらそれは昨季の僕のいちばん大きなミスだったんじゃないかと思うのは、チームとしての目標ですね。僕が選手たちにチームの目標として掲げたのが、渡邉監督の最後のシーズンの11位を上回っていこうというもの。まずはそこがひとつの大きな目標で、それより上に行くぶんにはいくら行っても構わないと。でも「残留争い」という具体的な言葉は避けていたんだけど、現実的には優勝を目指す争いではないわけで、目標としてはちょっとわかりづらかったのかもしれないです。
だけど僕は、契約の形態を含めチームが僕自身にも時間を与えてくれたと思っていたので、1年目はしっかりチーム作りをして残留し、2年目以降に自分のスタイルをより浸透させてチームを強化していきたいという青写真を描いたんです。
そこでいきなり「降格がない」となった。そうなったときに、現状では現実的に上位を目指せるような状況ではない中で、チームが数字として追う目標を、ちょっと具体的にはイメージできなかったのかなと。チーム作りをして自分たちのやりたいベースを高めていきながら、次のシーズンは4チームが降格するという中でそこを軽く回避して上を目指すために、コロナ禍で与えられたこの1年を本当に大事にみんなで使っていこうといったことを僕なりに選手たちに説いて、また新たにチーム作りをスタートしていきました。
チームがより上に行くためには、これまで仙台が培ってきた守備力だけでなく、ボール保持もしっかりして攻撃力も上げていく。そんなふうに渡邉監督も目指していたことに、僕は大いに賛同していました。ただ、仙台の戦力でそれだけにこだわって、最終的に個の質が問われる中で勝負するとなったときには、そのサッカーでは上位には行けないだろうと僕は考えた。もっとアクティブに前でボールを奪うなど守備の面も含めて、チームとして攻守で戦えるようにならないと、仙台のクラブの規模で目指す順位に到達することは難しいんじゃないか。だからそれを自分の使命としてやっていこうと。それをチームもクラブも実現したいから僕を呼んでくれたんだと、そう自分に言い聞かせて指揮を執りはじめたんですけどね。
ただ、勝負事なので上手くいかないことも大いにあるし、その中で本当に「こんなに短い間にこんなにいろんなことが起きるのか」というくらい、プラスではない材料がたくさん起きて。最終的にはそれも含めて跳ね返すだけの力が僕にはなかったというのが結果だと思うんですけど。僕にとっては非常に苦しいシーズンでしたけど、逆に言うと、本当にいろんなことをまたあらためて感じ、学んだ1年だったなと、いま思います。
■J1とJ2との違いはどこにあったのか?
–木山さんにとってJ1で指揮を執るのは初めてだったんですよね。コロナのせいで特殊なシーズンだったので、単純な比較は難しいと思いますが、J2とJ1の違いはいかがでしたか。
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