J論プレミアム

「水戸、千葉、愛媛、山形…最も理想を実現できたチームは?」理想高きリアリストの肖像―木山隆之が語る叩き上げ監督道【中編】

 

「また下積みだな……」これまで水戸ホーリーホック、ジェフユナイテッド千葉、愛媛FC、モンテディオ山形などの監督を歴任し、自らを「叩き上げ」と称する木山隆之氏は、昨季のベガルタ仙台での指揮をかえりみて、そう吐露する。不思議とその目は自信と誇りに満ちているように感じられた。
戦略家? 情熱家? リアリスト? ロマンティスト? 現場からは手腕を高く評価する声が多く聞こえてくるが、監督としての実像はいまだベールに包まれている。今まで率いてきたチームについて語ってもらいながらイバラの道ともいえる監督道を振り返ってもらった。約3万字の濃密な回顧録を3回に分けてお届けする。
(取材・構成/ひぐらしひなつ)
※インタビュー取材は2月上旬に行いました
「仙台で僕が犯したかもしれない一番大きなミス」【前編】

 

■水戸、千葉、愛媛、山形…これまでで最も監督としての理想に近づいたチームとは?

–木山さんはこれまで本当にいろんなチームでお仕事されてきていますが、その中でさきほどおっしゃっていた、ひとつ貫いてきたものを、ご自身で言葉にするとしたらどう表現されますか。

僕は攻撃的だとか守備的だとかいう言葉では割り切らない。攻守でアクティブ、攻守で見ている人に躍動感を感じさせるようなサッカーをしたいというのが、もうずっと、水戸で監督をスタートした当初から変わらないことです。引いて守るよりも前でボールを取りたいし、ボールを蹴飛ばすよりしっかりつないで相手コートに入っていきたいし。で、相手コートでボールを取られても、別に相手コートで取り返せばいいと思うし。

僕はベンゲルさんの、強かった頃のアーセナルのサッカーが大好きなんです。ベンゲルさんの率いる名古屋と実際に対戦したときの「なんでこのチームはこんなに強くなったんだろう」という衝撃。そんなに戦力も抜きん出ているわけではないのに、守備も攻撃も組織的で、本当にすごいなと感じたんです。その後、ベンゲルさんがアーセナルに帰って何年か経つうちに、だんだんチームが強くなって無敗優勝したりしたじゃないですか。僕はあのサッカーが大好きで。攻守に洗練されていて、組織的だけど当時いた優秀な選手たちの色も消えてなくて。ボールはつなぐけどバルサとかとは違ってもっと流動的で、一時日本でも言っていたような「人とボールが動く」っていうのは、まさにああいうことだという気がするんですよね。あれに対する憧れが、いまもある。もちろんサッカーはどんどん進歩しているから、いまはあの形じゃなくなってる部分もあるんだろうけど、僕はあれを見るたびに「ああ、サッカー楽しいな」って思う。そういうサッカーを、日本人でも出来るだろうというのが根底にあるんですね。決して引いて守るチームじゃなかったし、プレッシングもよかったし。ボールをすぐに手放すチームではなかったし。だからと言ってパスだけではなく、ドリブルやランニングなどいろんな要素があって、観ている僕たちからしても楽しかった。それが僕の原点のような気がします。

ただ、チームのそのときどきの状況や戦力によって、ボールを持ちたいけどなかなか持てなかったり、前からプレスに行きたいけどそれを可能に出来る選手の数が少なかったり。それを時間をかけて解決できるときもあれば、時間をかけられないクラブも当然あった。だからそのときによって少し色合いの変化はあるかもしれないけれど、つねに根底にあるのは「攻守にアクティブ」。みんなよくアグレッシブって言うけど、そういうサッカーが、僕の中では理想です。いつもそれをずっとやりたいと思って監督を続けてきたと思います。

–それをいちばん体現できたなと感じるのは、どのチームでのどのシーズンですか。

うーん…。これは以前も誰かに訊かれたことがあったんだけど、何を基準にするかによって、思うところが変わってくるんですよ。単純に言ってしまえば、僕はJ2のチームをトータルで9シーズン率いたんだけど、1回も昇格していない。プレーオフには3回行ってますけど。でも正直、本当に昇格できるチャンスがあったのは、客観的に考えたら千葉のとき。

–すみません。(プレーオフで千葉に勝った大分の番記者として反射的に謝る)

いやいや、これ本当に、だいぶぶっちゃけますけど(笑)。あとは山形での最後の3年目。その2回だけじゃないかと思うんですよね。だから戦績で見ればそこがすごくよかった。でも、たとえば千葉は、あのときの戦力で考えたらプレーオフじゃダメだった。本当は自動昇格しなきゃいけないメンバーだったんじゃないかなと思う。事実、湘南との勝点も3ポイント差だったんですよ。それで5位。得失点でははるかに上回っていたから、あと1勝していれば2位だったのに。

だから僕はあのとき、プレーオフに負けた悔しさよりも、本当に自分の力のなさを感じていた。あれだけの戦力を擁していて、あと1勝させてさえいればクラブをJ1に上げることが出来ていたと思ったら、正直やりきれなかったですね。

それから何年も監督をしていろんな経験を積んでいった中でときどき感じたのは、いまあの2012年に戻らせてくれて、あの戦力で指揮を執らせてもらえたら、僕は絶対に勝っていると。でも、それが出来ないのが人生ですからね。

 

※この続きは「サッカーパック」に登録すると読むことができます。

(残り 9918文字/全文: 12121文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

日本サッカーの全てがここに。【新登場】タグマ!サッカーパック

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ