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あの1年半、風間八宏は「父」ではなくなった。風間兄弟が明かすフロンターレ時代の苦悩と父の背中

風間宏希と風間宏矢。ともにFC琉球で活躍する風間兄弟は幼い頃から「風間八宏の息子」という十字架を背負いながらサッカー選手として歩んできた。選手として、指導者として、そして親として求道者のように走る続ける父の背中を風間兄弟はどう見てきたのか? 父の日を記念して、2人だけが知る「父親像」をじっくり語ってもらった。

 

■常につきまとった「風間八宏の息子」というレッテル

結果を突きつけられるスポーツの世界では、偉大な父を持つことが幸せだけでなく、苦しみを引き起こすことがある。

幼い頃から父と比べられ、名前だけで期待をかけられる。父が監督を務めるクラブでプレーしたら、ひいきされているのではないかと色眼鏡で見られる–。

風間宏希と風間宏矢は、そんな二世の洗礼のもとで育ってきた。

父・風間八宏は、日本サッカー界で新たな道を示し続けるパイオニアだ。

大学卒業後にドイツで5年間プレーし、日本に戻るとキャプテンとしてサンフレッチェ広島をJリーグ・1stステージ初優勝に導いた。

引退後はフジテレビの「すぽると!」で人気解説者として活躍する一方で、桐蔭横浜大学と筑波大学で指導し、2012年4月に川崎フロンターレの監督に就任。「止める・蹴る」を合言葉に徹底的に技術にこだわり、常勝軍団の土台を築いた。

哲学、戦術、発信力を併せ持ち、風間八宏は特別な存在感を放っている。

それゆえに宏希と宏矢は「風間八宏の息子」というレッテルがつきまとってきた。注目度のスケールは違うかもしれないが、選手と監督として成功した人物のジュニアという点で、ヨハン・クライフの息子ジョルディやジネディーヌ・ジダンの息子たちと立場が似ている。期待が大きいだけに簡単には世間から認められない。

だが、風間兄弟はそういった二世の困難を乗り越え、ともにFC琉球のピッチで躍動している。現在J2で4位。クラブ初の昇格も夢ではない。

2人は父からどう薫陶を受け、父の背中を追い、自立していったのだろう?

 

■父はサッカーをまったく教えようとしなかった

意外なことに、風間兄弟には幼い頃に父からサッカーを教わった記憶がないという。なぜなら風間家において、サッカーは常に「遊び」だったからだ。

兄の宏希はこう回想する。

「小学校低学年や幼稚園のときに、父、僕、宏矢の3人でよく1対2のミニゲームみたいなことをしていたのをよく覚えています。

場所は家の前にある神社。僕たちが守るゴールはブロック塀のでっぱりの間で、父の方は大きなネットが張ってあるところ。10点取った方が勝ちです。

父はプロを引退したばかりだったので、もちろん手加減していたと思うんですが、僕らは本気で勝ちに行っていましたよ。3回に1回くらいのペースでうまく勝たせてくれる感じで、すごく楽しい時間でした」

言うまでもなく、これは風間流の“英才教育”だ。遊びの中でプロのテクニックを見せつけ、息子たちに目で覚えさせた。

「父は足の裏を使うのがめちゃくちゃうまくて、僕らが必死に取りに行っても、いなされまくっていました。父からサッカーについて『ああしろ、こうしろ』と言われたことは一度もないんですが、今思えば遊びの中で教えてもらっていたんですよね」

弟の宏矢も同じ感想を抱いていた。

「ボールを全然取れず、当時は父を怪物みたいに思っていました。足で敵をブロックする技術がすごくうまいんですよ。父がふっと足を出すだけで、僕たちは懐に入れなくなって、ボールに一切触れられない。僕は幼稚園の年長くらいでしたが、幼いながらに『これって使えるな』って感じていました。教えてもらっている感じは一切ないんですが、今振り返るとそうだったんだなと思うときがあります」

サッカーに限らず、どんなことでも強制でやらされたら、短期的には上達しても、長期的には伸びていかないだろう。父・八宏は決して強要しなかった。

宏矢は続ける。

「サッカーに関しては、アドバイスもほぼなかったです。父はフジテレビや大学の監督の仕事でほとんど家にいなかったし、たまにボールを一緒に蹴るときに『こういう蹴り方をすると蹴りやすくなるよ』というくらい。

家の近くには、熱血なお父さんがマーカーを置いて息子にドリブル練習をさせている家もあったけど、うちはそういう親ではなかったです」

 


風間宏希が5月15日の「Jリーグの日」に行ったインスタグラム(@kazama_koki619)への投稿。現役時代の父・八宏と弟・宏矢の3ショット。父に憧れ5歳のときにサッカーを始めた。

 

フジテレビといえば、宏矢はこんな経験をした。

「末っ子ということもあったからか、父が仕事で東京へ行くときにしょっちゅう僕だけついていってました。練習が終わったら車でお台場へ向かい、『すぽると!』のスタジオにもときどきおじゃまさせて頂きました。ジョン・カビラさんや内田恭子さんに仲良くしてもらって、子供ながら普通じゃできないことを経験させてもらっていると感じていました。同級生からめちゃくちゃ羨ましがられたりして。

僕は兄弟の中で割と社交的な方なんですが、もしかしたら大人の人と接する機会が多かったからかもしれません」

こう聞くとセレブな家庭で甘やかされて育てられた印象を受けるかもしれないが、それは誤解だ。父・八宏は目上の人への礼儀や規律に厳しく、締めるべきところはしっかり締めた。

宏希は忘れ物について、雷を落とされたことがある。

「うちは基本的には自由で、父からあまり怒られることはなかったんですけど、借りたものを返さないとか、ユニフォームを忘れたとかしたときに、かなり怒られました。

たとえば小学生のとき、県大会予選か何かの試合でユニフォームを忘れたんですね。今考えると恥ずかしいかぎりなんですが、当時、僕は忘れ物がすごく多かった。

ベンチの先輩にユニフォームを借りて出場したんですが、精神的なショックでプレーも最悪で…。父から『先輩に迷惑をかけて何をしている!』と相当な剣幕で怒られた。かなり怖かったです。でもそのおかげで礼儀を身につけられたと感じています」

 

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