名波浩監督と僕の四十肩(海江田哲朗)
『タグマ!サッカーパック』の読者限定オリジナルコンテンツ。『アルビレックス散歩道』(新潟オフィシャルサイト)や『新潟レッツゴー!』(新潟日報)などを連載するえのきどいちろう(コラムニスト)と、東京ヴェルディの「いま」を伝えるWEBマガジン『スタンド・バイ・グリーン』を運営する海江田哲朗(フリーライター)によるボールの蹴り合い、隔週コラムだ。
現在、Jリーグは北は北海道から南は沖縄まで58クラブに拡大し、広く見渡せば面白そうなことはあちこちに転がっている。サッカーに生きる人たちのエモーション、ドキドキわくわくを探しに出かけよう。
※アルキバンカーダはスタジアムの石段、観客席を意味するポルトガル語。
サポーターに勝利を報告する名波浩監督。悔しかったなあ。
名波浩監督と僕の四十肩(海江田哲朗)[えのきど・海江田の『踊るアルキバンカーダ!』]六十一段目
■ナナミの日でも負けるとは思っていなかった
あの日から、左肩がずっと痛い。おのれ、名波浩め――。右手でモミモミしながら肩をゆっくり回す。
これが世に言う四十肩というやつか。何の前触れもなく、突然発症するとは聞いていたが、まさか自分の身に降りかかろうとは。あ、レフティだけに左肩? だとしたら気が利いてやがる。
7月3日のJ2第21節、東京ヴェルディは松本山雅FCのホーム、サンプロ アルウィンに乗り込んだ。過去7戦して未勝利。鬼門中の鬼門である。
東京Vは4年ぶりの5連勝と勢いに乗っていた。一方、松本は不振にあえぐ。さんざっぱら煮え湯を飲まされてきたアルウィンで、とうとう勝ちどきを上げる日がやってきた。ここで勝たなきゃいつ勝つんだ。そう信じて毛の先ほども疑わない。ナナミの日なんて、ハナも引っかけなかった。
ところが、だ。松本の予想以上の奮闘を前に東京Vは返り討ちにあう。オウンゴールで先制を許し、端戸仁のゴールで同点に追いつくも、阪野豊史に決勝点を叩き込まれた。
内容的には相手を凌駕したが、負けは負けだ。名波監督の就任2試合目、松本の選手のプレーには気迫が漲り、随所でファイトしてきた。最も重要なゴール前の攻防で、相手に上回られたのは認めざるを得ない。
■名波監督の復活をひそかに待っていた
アルウィンには今季のホーム開幕戦に次ぐ、6,890人の観客が来場した。試合前、「ずいぶん入ってますねえ」とクラブスタッフに話しかけると、「監督交代後、初のホームゲーム。名波さんをひと目見ようと足を運んだサポーターは多いと思います」とのことである。
初勝利をぶら下げてサポーターの前に立った名波監督は、ほどよく笑いを取りながら軽妙なトークを披露。さすがはスターの貫録である。今後の成績次第ではあるが、持ち前の求心力を発揮できれば新たなアルウィン名物となるだろう。
今回はしてやられたわとアルウィンを離れ、村井駅そばの信州健康ランドに着いてから急に左肩が回らなくなった。健康ランドに泊まり、何が悲しゅうて痛みをこしらえなければならぬのだ。念のため書き加えておくと、略して信健への不満はビタイチない。お風呂、サウナの設備は行き届いており、何よりここの系列店(駿河健康ランド・石和健康ランド)は軒並みスタッフのホスピタリティがすばらしい。受付は松本のユニフォームを着用していた。
とんだ逆恨み、理不尽な言いがかりは承知の上。心因性突発四十肩(ない、そんなものは)としか考えられない。名波監督はシャレのわかる人だから、ざまあみろくらい思ってくれるはずだ。
年齢を訊かれたときは、「ジダン、フィーゴ、名波、林健太郎世代。世界的に大豊作の72年生まれです」で通してきた僕である。東京Vではいろいろ大変だったラモス瑠偉体制下の2007年、プレーを楽しませてもらった。「名波さんから『50センチ下がれ』と言われ、そのとおりにしたらマジでボールがきた」と、ある若手は驚愕の顔。そのとき取材を通して受け取った思考の数々は、僕がサッカーを観るうえでの骨組みの一部になっている。
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