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「現役中は一度も褒められなかった」。オシムの愛弟子ポポヴィッチが語る偉大なる恩師の愛とムチ

 

「現役中に直接褒められたことは一度もない」。彼ほどオシムの愛とムチを語るに相応しい男もあまりいないだろう。なぜオシムは愛されたのか。指導者オシムとは何だったのか。欧州最高峰の舞台で監督オシムとともに戦った教え子ランコ・ポポヴィッチ(FC町田ゼルビア監督)と『オシムの言葉』著者・木村元彦が語り合う。

 

■冷たい印象さえ受けたオシムとの出会い

―まずポポとシュワーボ(オシムの愛称)の最初の出会いから教えてもらえますか。
「私がコソボからベオグラードに出て来て、パルチザン・ベオグラードに入団して、レンタルでスボティツァに行ったときでした。ユーゴ代表監督だったシュワーボが何とそのパルチザンの監督も兼ねることになって、それで対戦することになったのです。試合場で言葉を交わしたのが最初ですね。すごく厳しそうな雰囲気を出していましたし、距離を置いていたので冷たい印象さえ受けた。ただ、実際にシュワーボと深く関わっていくと、彼がどれだけ温かみのある、そして器の大きい人だというのがわかりました」

―あのユーゴ紛争が勃発し始めた時期に代表とクラブチームの両方を兼務するというのは、大変なことだったと思います。当時はレッドスターとパルチザンが二強でしたが、レッドスターが内務省を母体にしたセルビア民族主義的なクラブだったのに対して、パルチザンはユーゴ人民軍が母体でまさに多民族のチームだったので、オファーを受け入れたと生前言っていました。シュワーボは1991年にこのパルチザンの監督として来日しています。
同年のレッドスターはトヨタカップを制しているので、まさに世界一のチームだったわけですが、そのレッドスターにシュワーボのパルチザンはユーゴカップで勝って優勝しているわけですね。
「そうです。もちろんミヤトビッチがいたパルチザンも強かったんですけど、選手の質で言えば、完全に上回っていたのがレッドスターでした。プロシネチキ、サビチェビッチ、パンチェフ、ユーゴビッチ…」

―ピクシーはもうマルセイユに移籍していましたが、レアルやミランで10番を背負う選手がいましたからね。そのレッドスターをくだしたシュワーボのサッカーをポポはどう見ていましたか。
「スピード。オシムさんのサッカーの中で、すごく大きなポイントになっていたと思います。それは選手にとってのシンキングスピード、タスクに向かうスピード、もちろんプレースピードもすべてが速かった。そのスピードの蓄積で何が結果的に起こるかというと、得点力が爆発的に上がるんです。常に攻撃的なチームを作っていたというのが、オシムさんの特徴だと思います。サラエボのジェレズニチャル、パルチザン、代表チームでもそうでした。だから、後ろを固めてミヤトビッチでカウンターというより、スピードを武器にしながら、その攻撃力を活かして得点を多く奪った。そういったところが、当時のユーゴの他のチームとは明らかに違いました」

―ポポは実際にオーストリアのシュトゥルム・グラーツでシュワーボの指導を受けるわけですが、ユーゴを出て同じチームでやることになった経緯を教えてもらえますか。
「まず大きな理由はダルコ・ミラニッチさんです。私のクーム(ユーゴにおける仲介人)なんですけど、彼が既にグラーツでプレーしていた。スペインでプレーしていた私がフリーになるということを、ダルコさんがオシムさんに情報として流してくれていました。グラーツはセンターバックをできる選手の補強が必要だったのです。『ランコ・ポポヴィッチが来季空くそうです』と。ところが、その時にオシムさんがダルコさんに言ったのは、『お前みたいな使い物にならないようなやつが、もう一人増えてどうするんだ』と。そういう返答を聞いて、ダルコさんは、もうその話には一切触れないようにしていた。ところが、その4日後にオシムさんが、『なんだお前、あのポポヴィッチという奴は、俺からわざわざ手紙を書いてここに来て下さいと言わなきゃ来ないのか』という話をしてきました」

―本当は取りたかったのに、シュワーボらしいですね(笑)。
「まあそれが、私がグラーツに来ることになった経緯です。オシムさんは一見すごく気難しそうで、しゃべりかけづらい雰囲気を出しているんですけれど、実はそういう人間ではないということですね。選手の機嫌を取ったり、愛想笑いを振りまいたりする指導者もいると思うんですけど、彼は全くそういうことはしません。ただ、選手一人ひとりのことをすごくよく考えてますし、必要な時に必要な言葉をかける。そして、オシムさんの一番のすごみというのは、選手の力を最大限引き出すことができるということ。それも選手のことを、深く理解してるからこそできるのです。どの選手が、何ができて何ができないのか。そしてどこまで力を伸ばしていけるのか、成長できるかというところまであの人は見えていたと思います」

 

本心をストレートに表現しないオシムだが、その言葉に選手は深い愛情を感じ取る。
写真:木村元彦

 

■「オシムを手放すな!」監督解任の危機に選手たちが起こした奇跡

―ポポのグラーツでのデビュー戦はどうだったのですか。
「デビュー戦はスーパーカップでした。私は良いキャンプを過ごしたのですが、いざ試合では、セットプレーで私がマークしていた選手に決められて0-1で負けました。散々オシムさんに叱られました。相手が合わせて来る相手にお前をつけた。それなのに一番集中しなくてはいけないときに決められてどうするんだと。その一週間後がリーグ開幕戦でグラーツのスタジアムのこけら落としでした。楽しみにしていましたが、もう私の出番は無いと思っていました。対戦相手は同じチームでしたから、使ってもらえないだろうと。自分が出るとは思っていませんから、アップの5分前までショーツだけはいて裸足でロッカールームにいました。そうしたら、オシムさんが来て『お前なんで着替えていないんだ? お前の代わりに俺が着替えて出ないといけないのか』と。私はすぐに準備してアップに行きました。GAKという対戦相手にはその試合まで8戦連続して勝ててなかったのですが、その試合で4-0で勝った。そこから我々のリーグ制覇に向けた道のりが始まったのです」

―ポポの選手としての伸びしろを見ていたのでしょうね。実際にそのグラーツ時代に受けたオシムのトレーニングの印象はどうでしたか。
「もう今まで経験したことのない練習メニューで、それが毎日変わっていきました。彼のメニューには常に考えさせられる要素が詰まっていました。だからトレーニング中はもちろん、家に帰ってもそのトレーニングについて考えました。自分はどうすれば良かったのか、これは何を意図したメニューなのかと。そういう経験が私の血となり肉となりました。今でも忘れられない複雑なトレーニングです」

―有名な多色のビブスを使用した練習ですね。

 

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