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WEリーグ参入決定!「マイナビベガルタ仙台レディースの母」が語る9年間

村林いづみさんは宮城県を中心に活躍されているラジオ出身のフリーアナウンサーです。サッカーのお仕事との出会いは2004年。佐藤寿人選手の出演するラジオ番組のアシスタントに起用されたことからだそうです。その後、スカパー/DAZNJリーグ中継では、ベガルタ仙台のホームゲームのピッチサイドリポーターとして活躍。ベガルタ仙台のファン・サポーターにはお馴染みの存在です。マッチデイプログラムの執筆等もされています。ご出産のためにお休みした期間がありましたが、ずっと長く、常にベガルタ仙台と毎日を過ごしてこられました。

マイナビベガルタ仙台レディースとの関係も深く、こんなエピソードもありました。

村林チームができた頃、私はメディアの人だと思われていなかったんです。選手やコーチにフロントの人と思われていました。「ずっとあの人いるよね」って感じで見られていました。いつものように練習を取材していたら、正木さん(正木裕史コーチ:東京電力女子サッカー部マリーゼ時代から選手を指導している)に「手が空いているならビデオ回してくれない?」って言われて「はああああ!?」って思ったけれど回したりして・・・。

 WEリーグ参入クラブとして最初に呼ばれたのは「マイナビ仙台レディース」という名称

2020年10月15日14時よりJFAハウスでWEリーグ 参入クラブ発表記者会見が行われ、YouTubeで生中継されました。冒頭で読み上げられた参入クラブ・・・緊張した面持ちの岡島チェアが最初に読み上げたのは「マイナビ仙台レディース」というクラブ名でした。村林いづみさんは、どのような気持ちで、この発表を見守っていたのでしょう。そして、参入が決まり、安堵しているのでしょうか。

村林–「マイナビ仙台レディース」の名前があり、ほっとした気持ちと、「ベガルタ」の名前やロゴがないことに率直に寂しさも感じました。 しかし選手たちには堂々と「オリジナル11」として、高いレベルで磨きあうチームになって欲しいし、仙台でプレーを希望する選手が幸せな気持ちで競技を続けられ、活躍できる場となって欲しいです。

 マイナビ仙台レディースは、この日、女子プロサッカーのスタートラインに立ちました。ここから東北女子サッカーの歴史は前に進むのです。お気づきの方も多いと思いますが、参入11クラブを示したマップにマイナビ仙台レディース」の名前はありますが、エンブレムはありませんでした。

人呼んで「マイナビベガルタ仙台レディースの母」

マイナビベガルタ仙台レディース(当時はベガルタ仙台レディース、2016928日に株式会社マイナビとタイトルパートナー契約を締結し翌シーズンよりマイナビベガルタ仙台レディース)は201221日に発足しました。2011311日に発生した東日本大震災により活動を停止した東京電力女子サッカー部マリーゼの選手たちを受け入れてスタートしたチームです。東京電力女子サッカー部マリーゼは、東日本大震災後に休部していたのです。

村林いづみさんは、20122月のマイナビベガルタ仙台レディース発足前から一緒に歩んできた方です。いつからか、サポーターから呼ばれるようになりました・・・「マイナビベガルタ仙台レディースの母」と。

村林よくそう言われるけれど『あんな大きな子達、生んでない!』。

村林いづみさんは母であることを否定して笑います。

「もうこれは取材しよう」と(リポーター魂に)火がついた2011年の秋

村林女子サッカーをテレビで見るようになったのはFIFA女子ワールドカップ2011ドイツ大会でなでしこジャパンが優勝したときからです。マリーゼという名前はなんとなく聞いていたのだけれどよく分からない、東京電力のチームだということも知らずにテレビで見ていました。そのうちに「ベガルタに女子チームが出来るらしいよ」という噂が出てきて「女子部できるの?」「マジ!?」みたいな調子で噂話を聞いていました。20111115日に東京電力女子サッカー部マリーゼの所属選手をベガルタ仙台が受け入れるという発表がありました。私は女子サッカーに、それほど興味はなかったのですが、女子ワールドカップもテレビで見ていたし、チームがスタートするタイミングで取材をしてみようと思いました。2011年の11月くらいだと思うのですが、ベガルタ仙台に来ることを決断した選手たちの一部が練習環境を仙台に見に来る日がありました。そのときが、後のマイナビベガルタ仙台レディースとの出会いでした。みんなマリーゼのトレーニングウェアを着ていました。

初取材、向かって右端最前列が下小鶴綾選手 提供:村林いづみさん

印象はどうでしたか?

村林とにかく選手が凄く可愛かったんですよ!普段はゴツい男子選手たちと対面して取材をしていたので、自分と同じくらいの身長か、もっと身長の低い子もいて・・・でも、ボールを蹴ると上手くてかっこ良くて・・・「もうこれは取材しよう」と(リポーター魂に)火がつきました。翌年は2月1日のベガルタ仙台レディースチーム発足記者会見の司会もさせていただきました。

不安と決断、重たい荷物を背負ったチームの始動

村林ベガルタ仙台レディースチーム発足記者会見でキャプテンの下小鶴さん(下小鶴綾:2012年〜2013年にベガルタ仙台レディース(当時)でプレー、なでしこジャパン28試合出場)がチームを代表して挨拶をしたとき「私たちを受け入れてくださった、そしてまたみんなでサッカーをする場を与えてくださったベガルタ仙台には、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。」と話されたことが印象的でした。下小鶴さんの挨拶を聞いて他の選手たちは泣いていました。

2018年シーズンのホーム開幕戦 提供:村林いづみさん

「サッカーを続けてくれてありがとう」という横断幕

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