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熊谷紗希選手(オリンピック・リヨン)特別インタビュー リヨンから日本の女子サッカー選手に向けてのメッセージ、そしてUEFA女子チャンピオンズリーグを振り返る

今回は、なでしこジャパンのキャプテンを務める熊谷紗希選手のZOOM特別インタビューです。熊谷紗希選手は2013年シーズンからオリンピック・リヨンに所属。センターバックまたはアンカーのポジションで活躍し続けています。オリンピック・リヨンの女子チームは2019/2020シーズンにフランス女子1部リーグを優勝。カップ戦、UEFA女子チャンピオンズリーグと併せて3冠を達成しました。フランス女子1部リーグは実に14連覇。熊谷紗希選手は、その半分の7連覇に貢献しています。熊谷紗希選手の発する言葉の端々に自信と誇りを感じます。例えば「チャンピオンズリーグの決勝戦は『いつもならば』・・・。」と自然に説明するところ。オリンピック・リヨンの女子チームはUEFA女子チャンピオンズリーグを5連覇。決勝戦に進出することは義務付けられているのかもしれません。しかし、COVID-19(新型コロナウイルス感染症)の影響を受けた変則的な日程は、オリンピック・リヨンの女子チームの選手を苦め、準々決勝戦、準決勝戦は『いつもならば』とはいかなかった様子。そのあたりはインタビューの後半でご紹介します。

 

女子ワールドカップ決勝戦の舞台にもなった横浜市の姉妹都市リヨン

リヨンはフランス第2の都市。横浜市と姉妹都市提携を結んでいます。横浜市とフランス・リヨン市が姉妹都市となったのは、1959年。元々リヨンは、ヨーロッパにおけるシルクロードの最終地点として古くから絹織物産業が発展していました。しかし、19世紀にヨーロッパで発生したカイコの病気がヨーロッパ全体に広まり、絹の入手が困難となりました。その危機を救ったのが、横浜港から輸出された日本の生糸。絹がとりもつ縁によって両市は友好関係を築いていき、姉妹都市として結ばれたのでした。(横浜市サイトより)

古代ローマ人に起源を持つ歴史と最新テクノロジーや近代デザインで作られた街並みの2面性を併せ持つ、美しいリヨンの街で熊谷紗希選手は生活しています。

コンフリュアンス地区の街並み

クロワ・ルースの丘から見下ろす中心街

—オリンピック・リヨン(女子チーム)の練習場では、子供たちが練習の出待ちをしていたりして、サッカーファンから親まれているようですね?

熊谷–試合に必ず来ていただくコアなサポーターがいらっしゃいます。それに、私が市内(中心部)を歩いていると、サッカーを好きな人に話しかけられることがあります。私が住んでいるエリアでは、試合の翌日にスーパーマーケットやパン屋さんに行くと「ナイスゲーム」と声をかけていただいたり・・・オリンピック・リヨンの女子チームを応援してくれています。オリンピック・リヨンの女子チームはリヨン市長から、毎年、表彰を受けています。市役所には写真が掲出されています。UEFA女子チャンピオンズリーグ決勝戦の翌日のスポーツ新聞の一面は、オリンピック・リヨン女子チームの優勝記事ばかり。女子チームで、これだけ大きな認知があるのはリヨンならではと思います。

市役所

スタートから1年を迎えた「なでケア」

⼀般社団法⼈ なでしこケア(略称:なでケア)は20197月に誕生しました。なでしこジャパンの世界一から、もうすぐ10年、米国女子代表のアクションが世界の女性アスリートに大きな影響を与えたFIFA女子ワールドカップ2019フランス大会からもうすぐ1年。なでケアも1年目を終えました。熊谷紗希選手は、なでケアの代表として、この1年間をどのように振り返るでしょうか。そして、どのような未来を見ているでしょうか。

なでケアは、このようなメッセージを示していました。あらためて、立ち上げのきっかけをお話いただくところから、なでケアの現在地を教えていただきました。

もう一度、社会の中で大きな役割を果たしたい。

なでしこ(女子サッカー選手)が抱える、
女子サッカーへの想い、
次世代への想い、
そして、社会や地域への想い。

そんな優しい “想い” を形にするために生まれた
プラットフォーム。

それが、私たち “なでケア” です。

 

熊谷–大滝(大滝麻未:ジェフユナイテッド市原・千葉レディース所属、元オリンピック・リヨン所属、なでケア創設者)、近賀(近賀ゆかり:オルカ鴨川FC所属、なでケア理事)をはじめ海外でプレーを経験した選手たちが、女子サッカー選手の価値を自覚しながら「私たちに出来ることをみんなで考えたい」と話し合ったのが、なでケアを始めたきっかけでした。女子サッカー選手自身で、なでケアを始めたことに意義があります。もっと私たち自身が私たちを知ってケアすべきというところから(スタート)したのです。

—なでケアには、女子サッカーに必要な問題提起、アクションの第一歩を示していただいたと思います。日本では2020年10月7日に、女性スポーツリーグ同士が連携し、女性スポーツの社会的価値向上を目指した取り組みを推進するWoman Athletes Project(女性アスリートプロジェクト http://japantopleague.jp/wap)が設立されました。私は、こうした取り組みは、なでケアの活動が刺激になった結果だと思います。一年間を振り返っていかがですか?

熊谷–一年目の目標はみんなに知ってもらうことからでした。なでケアを始めた時点で、私たち自身でやると明確に決めた活動があったわけではありません。女子サッカー選手の中で「なでケアって何なの?」ということを共有していくことが一番目の課題でした。選手たちの協力を得ないことには何も前に進まないので、一年目は、日本サッカー協会やクラブとの関係も含め輪を広げていくことを目標としました。その目標は1年目で、かなり達成できたと思います。様々な活動に、参加してくださった選手も、かなり増えました。

—協力や一緒に活動していただく団体、クラブが増えた手応えはありますか?

熊谷–あります。興味を持っていただく企業、団体も増えました。そうした皆様と一緒にお話しをしながら(ただ受け身ではなく)「私たち女子サッカー選手に何ができるか」を考えています。

女子サッカー選手を「少女が夢見る職業」にしたい。「こんな人になりたいな」と女子サッカー選手を見て思ってもらいたいです。これからWEリーグが始まり変わっていくと思いますが、今の日本には、いろいろな不安を抱えてサッカーをやっている女子選手がいます。男子のように現役中に稼いで貯めたお金で引退後に食べていけるわけでもない・・・そのために、こうした現状を共有し合うことも大切です。だから、最初は皆からヒヤリングをしました。みんなで考えるプラットフォーム・・・「場」になっていきたいというのが、なでケアの願いです。なでケアがどうあるべきかの形は見えていないし、人によってはぼんやりと見えるかもしれないけれど「こういうことをやりたい」というイメージがあれば、どんどん相談していただいて実現していきたいと考えています。選手の皆さんには、なでケアを使っていただきたいです。例えば、これから海外でプレーしたい選手の助けもできるかもしれない。 

—なでケアが始動したときには、日本に女子プロサッカーリーグ(WEリーグ)が誕生するとは全く想像できませんでした。しかも、WEリーグの理念は「女子サッカー・スポーツを通じて、夢や生き方の多様性にあふれ、一人ひとりが輝く社会の実現・発展に貢献する」。動画の冒頭には「女の子の夢から、限界をなくせ。」と表示されます。なでケアのスタートから1年を経て、なでケアの考える方向とWEリーグの方向、さらにはWoman Athletes Project(女性アスリートプロジェクト)も同じような方向に向いて動いてきた感じがします。

熊谷–なでケアによって(始まった動き)ではないかもしれないですが、日本の女子サッカーとして同じ方向を向けられれば大きな成長をできると思います。私は10年間プロ選手としてやってきました。こうした、なでケアのような行動は責任を伴いますが、サッカー選手としての成長をしていくと同時に「人間として、女性として一緒に成長していく手助け」を出来ればと思います。

世界的に見ても、そろそろ(こうしたことを)やっていかなければならない時代になっていると思います。日本の女性は自分たちで立ち上がることが得意ではないと海外から見て思います。だから、なでケアが自分たちで立ち上がったことには特別な意味があると思っています 

—なでケアを通して、この先やりたいことは?

熊谷–私は、オリンピック・リヨンにいるうちに、将来は世界でサッカーをやりたいと思っている子供たちをリヨンに連れて来たいと思っています。リヨンに来てもらえれば、貴重な経験をできると思います。きっとリヨンの同年代のチームと試合も組める。これは私が個人的なやりたいことです。でも、個人的なやりたいことが集まってなでケアの具体的なプランになっていくのです。女子サッカー選手の学ぶ機会をできるだけ多く設けて、社会のいろいろな面を知ってもらえるようにしたいと思うことがあります。なでケアが学ぶ機会を提供して、サッカーをする女子に自分が本当にやりたいことを見つけてもらいたいです。

熊谷紗希選手は世界で唯一の偉大な存在

FIFAワールドカップ2011ドイツ大会決勝戦のPK戦で最終キッカーとなった熊谷紗希選手は、難易度の高いシュートを上隅に撃ち込み、なでしこジャパンは初の世界一に輝きました。ほぼ真横のスタンドで観戦していた筆者は、熊谷紗希選手がPKを蹴った瞬間に「ウッ」という声を出したことを覚えています。決まればGKは絶対にとれない、でも、外すとクロスバーの上に飛んでいってしまうという角度のシュートでした。気持ちの強い選手にしか打てない角度です。FIFAワールドカップの決勝戦でPK戦の最終キッカーとなった選手は男女を通じて3人しかいません。1人はロベルト・バッジオです。無情にもクロスバーの上をボールの軌道が遠ざかっていった1994年の「伝説のPK失敗」は今でも語り継がれています。FIFAワールドカップの決勝戦でPK戦の最終キッカーとなった3人の中でUEFAチャンピオンズリーグの決勝戦のPK戦でも最終キッカーを務めたのは熊谷紗希選手だけ。つまり、熊谷紗希選手は世界で唯一無二の偉大なサッカー選手となります。そのことをご本人に話すと、笑いながら「たまたまPKになったという奇跡もありますけどね。」と軽くあしらわれました。これほど偉大なプレーを、全く特別なことと感じていないかのように・・・。

日本の女子サッカー史に新しい一歩を踏み出した2019/2020UEFA女子チャンピオンズリーグ

2019/2020UEFA女子チャンピオンズリーグでは日本の女子サッカーにとって大きな出来事がありました。決勝戦で、熊谷紗希選手が見事なゴールを決めたことが、その一つです。そして、もう一つは生中継でした。

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