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2つの世代とマラドーナ〜「もしかしたら明⽇、⼤好きな選⼿を失うかもしれない」と「女子サッカーのファンタジー」

ディエゴ・マラドーナの死は、全世界に大きな衝撃を与えました。マラドーナ世代だけではなく、全てのサッカーと関わりを持つ人が、このニュースを話題にしています。女子サッカーも例外ではなく、WEリーグが追悼のツイートを行なっています。

#女子サカマガの制作をする、全く世代の異なる2人は、このニュースに接して、全く別のことを感じていました。こうして文章にして、その差異を知る機会を与えてくれたのも、マラドーナが偉大なフットボーラーであり、なおかつ、フットボーラーであることを超越し、世代も超えて共通の話題となり得る存在だったからでしょう。ペレの後にマラドーナは生まれました。しかし、マラドーナの後に、その存在を継ぐ者は、まだ生まれていないのです。

もしかしたら明⽇、⼤好きな選⼿を失うかもしれない

マラドーナ。現役で活躍していたのは、私が⽣まれる前のこと。 元々サッカーをあまり知らなかった私なので、「マラドーナ=サッカーの神様」みたいな認識しかありませんでした。 そんなマラドーナの死は世界を揺らがすビックニュースに。 そして、私の心も大きく動かす出来事でした。

「私の大好きな選手が突然帰らぬ人になったら…?」 今、私は元気百倍で生きて、サッカーを⾒に⾏って、⼤好きなサッカー選⼿がいて、すんごい幸せです。 コロナの影響もあり、中々、以前みたいに遠征したり、ゲーフラどーんって掲げたり、チャント歌って飛び跳ねたりする事は出来ないけど、好きな選手を、クラブを、当たり前に応援する事が出来ている。

コロナもあって、当たり前の日常が当たり前じゃないって分かってたつもりだったけれど、 実際にこうやって偉大な選手が亡くなって、当たり前に応援出来ていたのが、いつか出来なくなるという事を目の当たりにして、すごく怖くなったんです。 もしかしたら明⽇、⼤好きな選⼿を失うかもしれない、と、 ⼀度も考えたことがなかったけれど、このニュースを⾒て、私の⼤好きな選⼿が亡くなったとき、何を思うのかなって考えたんです。

多分きっと「もっと全力で応援すれば良かった」って思うんだろうな。 どんなに全力で応援しても、きっと、もっとあの時こうしていれば良かったとか、もっとこう出来たとか、考えたらキリがないんだろうけど。 だからこそ、少しでもその後悔を減らすことが出来るように、全⼒で応援できる今、⼤好きなサッカーを沢⼭見に⾏って、⼤好きな選⼿を応援したい……そう思います。

#女子サカマガ Twitter中の人 ぽっと

女子サッカーのファンタジー

私がマラドーナを知ったのは1979年のことだった。FIFAワールドユースが日本で開催され、マラドーナとディアスという、とんでもないテクニックを持った選手がテレビの中に現れたのだ。とはいえ、私はFIFAワールドカップ1978アルゼンチン大会でアルゼンチンを初優勝に導いたストライカーのケンペスの方が好みだった。ケンペスは長髪でマタドール(闘牛士)と呼ばれ、ずんぐりむっくりのマラドーナよりもビジュアルがかっこよかった。FIFAワールドカップ1982スペイン大会でケンペスは活躍できず、新世代のエース候補であるマラドーナが注目を集めるのが、私にとっては面白くなかった。そう、私は、マラドーナが好きではない。マラドーナと不仲と言われたディアスが好きだ(実はケンペスも、それほど好きではない)し、ペレが好きだった。私の年代は、ちょうどサッカーの王様ペレの時代からマラドーナの時代に移行した直後。でも私は、前時代の紳士・ペレが好きだった。でも、好きではないといっても、やっぱり、マラドーナは気になる選手だ。

人はプロスポーツエンターテイメントに何を求めるのか? 一つだけ挙げるとしたら「非日常」だと思う。自分や自分の身近な人には絶対にできない離れ業をピッチ上で披露してくれる、それがプロだ。そして、プロスポーツエンターテイメントの試合会場では、日頃の生活慣習や生活のルールがちょっぴり緩む。スタンドやスタジアムとの往復の出来事もまた「非日常」だ。 マラドーナほど「非日常」を感じさせてくれる選手はいない。ペレ、クライフ、ベッケンバウアー、それこそメッシもマラドーナには遥かに及ばない。5人抜き、神の手、第二の神の手、カニーヒアとピッチ上でのディープキス、夜遊び、売春、ドーピング、コカイン、イタリアマフィアのカモッラ家との交際と対立、プレスへのエアガン発砲、50キロダイエット、顔の整形手術……。マラドーナはピッチ上どころか、世界中の全てを「非日常」に巻き込んでいった。日常で、こんな奇想天外な生涯をおくった人と知り合うことは不可能だ。でも、マラドーナを見ていれば、世界中の人々は「非日常」を生きることができた。

人は生きている以上はルールに縛られる。だから「非日常」に憧れる。「非日常」を味わうためにチケットを購入してスタジアムに足を運ぶ。ピッチ上だけではなく、マラドーナは何をしても「非日常」でニュースになった。ただ、死は「非日常」ではない。人は常に死と背中合わせに生きているのだ。だから、マラドーナ逝去のニュースは、マラドーナと死が結びつくことで、時代を一緒に生きた人々の胸に大きな穴を空けてしまった。死は、これまでマラドーナが味合わせてくれた「非日常」に終止符を打ってしまったのだ。もう、マラドーナを見ても「非日常」を感じることはできない。

私は、今、WEリーグ誕生という時代の転換期を生きている。女子サッカーも、遅ればせながらプロスポーツエンターテイメントに加わる。WEリーグにマラドーナはいないが、マラドーナの数分の一であっても「非日常」を提供できるはずだ。 私は、#女子サカマガ を立ち上げてから現実的な記事原稿ばかりを書いている。でも、どこかで、女子サッカーのファンタジー(非日常)も書かなければ、とマラドーナ逝去のニュースを聞いて思った。

#女子サカマガ 石井和裕

 

#女子サカマガ では、マラドーナと特別に深い接点を持つ亘崇詞さん(岡山湯郷BelleのGM兼監督)にインタビューを行いました。既に亘崇詞さんの記事はさまざまなメディアで多数ありますが、#女子サカマガ は、とりわけ深く、そして女子サッカー選手・関係者に役立つ記事をお届けします。ご期待ください。

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