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「リアル女子サカつく」 ゆかサル・吉野有香さんをWEリーグ目指す新チーム立ち上げまで紐解くインタビュー

「最後に、読者にメッセージをお願いします」と依頼したところ、元気に明るく、こんな答えが返ってきました。

吉野お楽しみに!! って感じですね。今、女子サッカーの現状に100%満足して共感している人は少ないと思います。その不満とか、希望を私にぶつけてもらえれば良いチームを作っていける自信はあるので、今まで日本の女子サッカー界を支えてくれた人たちと一緒に進めていきたいと思っています。

2021年1月17日の選手セレクションで使用した選手募集案内

「リアル女子サカつく」と称して理想の女子サッカーチームを立ち上げる

女子サッカーに深く関わる人や名古屋グランパスのファン・サポーターなら吉野有香さんのことを知っているかもしれません。しかし、現役時代の活躍は短く、一般からの知名度は高いとはいえません。そんな吉野有香さんが理想の女子サッカーチームを立ち上げると宣言しました。しかも、場所は京都府京丹後市。これもまた、関西にお住まいの人以外には場所を想像しにくい街です。吉野有香さんが、なぜ理想の女子サッカーチームを立ち上げようと考えたのか? どのようなサッカーチームを作りたいのか? どのような方法で作っていくのか? なぜ京丹後市なのか? 聞きたいことが山ほどあります。

とにかく明るく前向きに、次から次へのアイデアが噴き出してくる人です。そして、一緒にアイデアを実現したくなる人が近くに寄ってくる人です。だから吉野有香さんのSNSはいつも賑やかだし、実際にインタビュー取材でお話をお聞きすると、ぐいぐいと引き込まれます。インタビュー取材を終えて数日。録音を聞き直して、もう一度考えました……「なぜ、理想の女子サッカーチームを立ち上げようと考えたのか?」少し時間を要しましたが、なんとなく答えが見えたような気がします。左足前十字靭帯を断裂する大怪我、経営状態の悪いチームでのプレー、弱小チームを応援してくれるファンとの交流……痛みと自身のプレーに納得が出来ずに24歳で現役を引退した吉野有香さんだからこそ追求する理想への強い想いが、このインタビューには詰まっていると思います。

自然体で入学できた常盤木学園高等学校

吉野有香さんは愛知県犬山市出身。中学生まで名古屋FC(現・NGUラブリッジ名古屋)でプレーしていました。2007年に常盤木学園高等学校へ。全国から優秀な選手が集まる超名門高です。ちょうど2006年から2008年はJFA 全日本U-18女子サッカー選手権大会を三連覇、2008年〜2009年は全日本高等学校女子サッカー選手権大会を連覇した最強の時期です。チームメイトに熊谷紗希選手、田中明日菜選手らがいます。

吉野もともと、サッカーはそれほど上手くなくて、常盤木学園高等学校にはたまたま入れました(笑)。

—たまたま入れるような学校ではないと思いますが。

吉野セレクションに参加していた人が、みんな上手すぎて、私は気持ち良くなって何も考えずプレーしたら受かってしまいました(笑)。上手くやろうとか、これを失敗したらまずいとか考えることもなかったのでのびのびプレーできたからですかね。

 

自然体でのびのびと。まさに、今の吉野有香さんを語るのにふさわしい表現です。しかし順風満帆だったわけではありません。高校3年の10月に左足前十字靭帯を断裂。そこからプレーできないまま卒業を迎えたのです。卒業後、2010年にスペランツァFC大阪高槻に加入するも、すぐに左足前十字靭帯を再断裂。ほとんどプレーすることなく3年間を過ごします。その間になでしこフィーバーがやってきます。大人の思惑でチームは右に左に揺れうごきました。

提供:吉野有香さん

吉野–怪我をしていたので、スペランツァFC大阪高槻では、あまりプレーしていないのですが、ちょうどなでしこジャパンがFIFA女子ワールドカップ2011ドイツ大会で優勝したので盛り上がっていて、2012年にカリナちゃん(丸山桂里奈さん)とか本並健治さん(当時・監督)が加入されました。キックオフパーティーにスペシャルサポーターに就任したNMB48が来たり、INAC神戸レオネッサとの試合をガンバ大阪の試合の前座でやらせてもらったり……貴重な体験をさせていただきました。その後、2015年に経営危機が来ちゃうんですけどね……。戦力外通告を受け2013年に移籍することになります。私は大学に通っていたので近くのチームに移籍しないと大学に通学しながらプレーすることができませんでした。だから移籍の選択肢はバニーズ京都SCしかなかったです。バニーズも今年からバニーズ群馬FCホワイトスターになりましたね。

 

筆者がここまでのお話から感じたのは、事情があったとはいえ選手本意とは言い難い、かつてのプレナスなでしこリーグのチームでの体験が、今の吉野有香さんの想いのベースにあるのではないかということです。本人は、怪我を早く治したい、ただプレーしたかっただけなのに、チームが急に派手に振る舞うようになったり、逆に経営難に陥ったり、ファンが置き去りになったり……。

引退後の活躍がすごいですね。

吉野–引退後、しばらく大阪で働いていたのですが、起業を目指して10年ぶりに愛知県犬山市の実家に帰りました。ウチは自由にさせてもらえる家庭でした。私がプレーできるように親がずっと支援してくれていました。家では、いつもニコニコしているお父さんです。そんなお父さんから「仕事ってなんだろう」「働くってなんだろう」ということを勉強しようと思いました。だから、お父さんの仕事から勉強するようになって、私は、お父さんが「こんなに働いてくれていた」「こんなに頭を下げている」本当の姿を見ました。

人脈を作り起業のスタートラインに立つ

吉野私は、高校入学後は名古屋で生活をしてこなかったので、ここには何も人脈がないと思いました。一年間くらい、人脈を作るために経営者の集まりや異業種交流会に行きまくって、夕方から終電までを忙しくする「キャバ嬢」みたいな時間帯で生活をしていました。最初のお仕事は、関西のサポーターの方の会社でサッカー教室をすることから始まりました。MCの仕事は名古屋のモデル事務所の方からの紹介で増えました。例えば名古屋グランパス専門の情報番組「グランパスSTADIUM!」も「名古屋グランパスの仕事のオーディションを受けてみたら?」と声をかけていただいたことからMCを務めることができました。その仕事をSNSで発信することで、次の仕事に繋がりました。関東女子ビーチサッカーリーグのMCはSNSからのオファーです。

WEリーグ流の「女性ファンを増やす」とゆかサル流の「女性ファンを増やす」

吉野–私の印象だと、WEリーグは上の大人から「WEリーグを始めます」がバーンと降りてきた感じです。選手たちの意見を汲み取ってほしいです。岡島チェアの言う「女性ファンを増やす」というのは良いことだと思うのだけれど、呼びたい女性ファンがどこにいるのだろう? と思ってしまいます。プレナスなでしこリーグのスタンドを見ると、おじさまたちが多いので、すぐに女性ファンを増やすのはとても大変だと思います。日本はアイドル文化が根付いている国なので、今は、おじさま達をどのように取り込むのかを考えた方が良いのではないかと考えてしまいますけどね……私の意見ですよ。

提供:吉野有香さん

吉野–一般の人はLINEニュースでWEリーグのニュースをほとんど見ていないし、テレビでも露出が足りないから、今「WEリーグって何?」と街で質問したら「何?」と反応されると思います。まだ浸透できていないですね。

情報露出は、これまで以上に頑張らないといけないですね。一口にアイドル文化といっても、AKBや乃木坂のようなアイドルグループと、韓流アイドルグループはちょっと違うし、NiziUも、また違いますよね。これからは、そのどのあたりが伸びていくのか……。

吉野–私は、もっとカワイイで売り出して良いと思っているし、かっこいい子は宝塚のように売り出せれば良いと思っています。いろいろな、日本にある文化を取り入れて展開していくサッカーチームを自分の手で作りたいです。どの方法が良いのか、私がやって試してみたいです。

 

悠久の時が奏でる神の箱庭・京丹後市で理想の女子サッカーチームを立ち上げる

話はいよいよ本題に踏み込みます。吉野有香さんは2020年11月に株式会社ゆかサルを設立。代表取締役に就任しました。当初は、これまでの活動を強化していくための法人と思われていましたが、どうやら、主に、理想の女子サッカーチームを立ち上げるための法人だったことが明らかになってきました。

白い砂浜と岩池が独特の地形を作る京丹後市の海岸線

ここからのお話の舞台となる京丹後市について紹介しておきましょう。京丹後市は人口が約5万人。京都府と兵庫県の境目にあり、隣は城崎温泉で有名な兵庫県の豊岡市です。大阪市や神戸市の人に京丹後市の印象をお聞きすると「夏はマリンスポーツ、冬はカニを食べにいくところ」と回答する人も多いです。ただ、関西圏の外の人からは知名度が低いですね。特徴は、古代からの歴史です。神谷太刀宮には磐座(いわくら)という巨石があり、割れ目から見た延長線上に北極星が見えます。久美浜湾が日差しを受けてキラキラと輝く様は「日鏡(ひかがみ)」と言い伝えられており、この地域が星や太陽を信仰していた痕跡と思われています。また、室町時代から北前船(きたまえふね)が寄港し、東北地方や北陸地方の産物を陸揚げして京都市方面に運んでいたといわれます。今でも廻船問屋の豪商屋敷が残っています。古くからのロマンが息づいている街なのです。

細長い陸地「小天橋」で日本海から隔たり「日鏡(ひかがみ)」になる久美浜湾

吉野–私は理想の女子サッカーチームを立ち上げたいと思っていましたが、平林正教(株式会社ゆかサル取締役)も以前からサッカーチームを作りたいと思っていました。平林は出身地の京丹後市に恩返ししたいとも考えていました。以前にバニーズ京都SCでプレーしていた私も京都が大好きなので、2年くらい前から女子サッカーチームの話がスタートしました。ノジマステラ神奈川相模原やFCふじざくら(山梨県女子サッカーリーグ1部)に話を聞きに行きました。2020年の後半から具体的に話が進み始めて、一般社団法人 京丹後青年会議所を訪問したり京丹後市長を訪問したりしました。今は事業計画を作成している段階です。私、自分で口にした願いが実現するんです(笑)。

—京丹後市は、いってみれば神様がいる場所なので、願いが実現しそうな環境がさらに整った感じがしますね。

吉野–2020年に、行ってみたら、京丹後市は素敵で「守られている」場所だと感じました。行ったときに「ここでやる!」と即決しました。

割れ目から北極星が見える神谷太刀宮の磐座

—京丹後市の方が動いてくださって、お話が急ピッチで進んでいますね。

吉野–京丹後市長にも、いきなりお会いできることになってびっくりしました。「若い子たちが来てくれるのは嬉しい」「スポーツで京丹後市を活性化できるのは嬉しい」と言ってくださいました。

—以前の京丹後市のイメージはどうでしたか?

吉野–めっちゃ遠い! 私は京都市でも南にある伏見区に住んでいたので、行ってもグラウンドがある綾部市や亀岡市まで。天橋立すら京都府だと思っていなかった知識のレベルです。それと、私は海鮮を食べられないので、京丹後市までいく用事があまりないのです。でも歴史とか神社とかは結構好きです。ですから、京丹後市を選んで良かったです。丹後には「丹後七姫」の伝説があります。私のチームのイメージにぴったりだと思いました。

 

京丹後市には7人の美女にまつわる伝説が語り継がれており、七姫ゆかりの神社や足跡を伝えるスポットが存在します。京丹後七姫とは ・静御前 ・間人皇后 ・小野小町 ・乙姫 ・羽衣天女 ・細川ガラシャ ・川上摩須朗女。

間人皇后と聖徳太子の母子像

—京丹後市に住んでいる方がプレーするチームというよりも、京丹後市に出来たチームでプレーするために選手が京丹後市に移住してきくるイメージですか?

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