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元女子サッカー選手だからできること 国際女性デーインタビュー 一般社団法人 S. C. P. Japan 野口亜弥さん/井上由惟子さん/繁浪由希さん

女子サッカー選手が「セカンドキャリアの不安」を口にすることは珍しくありません。今回はセカンドキャリアが楽しくなりそうなインタビュー記事をご紹介します。3人の設立社員が、いずれも女子サッカー経験者の一般社団法人 S. C. P. Japanは2020年2月27日にスタートし、先頃、設立一周年を迎えました。「一人ひとりが自分らしく歩んでいける未来を創る」活動をしています。スポーツを通じて「性の多様性(LGBTQ)やジェンダー平等に関する教育・研修」「プライドハウス東京のコンソーシアムメンバーに参画」「(公財)ジョイセフとのスポーツを通じた女性のエンパワーメントワークショップ活動」「バルサ財団とコラボレーション契約によるFutbolNetプログラムの提供」等を行っているのです。こうした活動項目から、筆者には一眼で「女子サッカー経験者によって設立された一般社団法人だな」と思えます。WEリーグをはじめとする女子サッカー界は、類似のテーマに長く取り組んできているからです。

S. C. P. Japanは「スポーツを通じた共⽣社会づくりの担い⼿育成プロジェクト」でHEROs STARTUP 2020を受賞。その活動は広く社会が注目しています。女子サッカー選手の間では「何やら凄いらしい」「難しいっぽい」と噂されるS. C. P. Japanなのですが、意外なことに、その活動のアウトプットは講演活動、スポーツを通じた教育プログラム(サッカー教室)、スポーツを通じた女性のエンパワーメントワークショップ等、単純です。3人、各々の想いを女子サッカーが繋げた、S. C. P. Japanの活動を紹介します。

左から野口亜弥さん/井上由惟子さん/繁浪由希さん 提供:S. C. P. Japan

3人の元女子サッカー選手によるS. C. P. Japan

まずは、設立社員をご紹介します。

繁浪由希さん(理事) 女子サッカー強豪校・常盤木学園高校で2年連続全国優勝を経験。卒業後はジェフユナイテッド市原・千葉レディースでプレー。幼稚園教諭一種免許を取得し引退後は幼稚園教諭に。2017年には保育士資格も取得。S. C. P. Japanでは主に教育プログラム(栃木のFutbolNet)と広報を担当。ウェブサイトの制作も行なっています。

井上由惟子さん(共同代表) 2006年からジェフユナイテッド市原・千葉レディースに所属しモックなでしこリーグ(当時)でプレー。AFC U−16 女子選手権準優勝。FIFA U−17 女子ワールドカップ出場、AFC U−19 女子選手権優勝。2012年に米国サマーリーグ・ニューヨークマジックでプレーし21歳引退しました。その後、青年海外協力隊としてブータンで2年間体育教員体育の授業を担当。帰国後は日本サッカー協会(JFAこころのプロジェクト)で勤務。筑波大学大学院でスポーツ国際開発学を学びながら、スポーツを通じたダイバーシティ&インクルージョンについて実践及び研究を行っています。2019年からはバルサ財団の日本におけるMethodological Coordinatorとしても活動しています。

野口亜弥さん(共同代表) 十文字高校と筑波大学でプレー。米国サマーリーグでプレーし井上由惟子さんとルームメイトに。その後、スウェーデンでプロ女子サッカー選手として4ヶ月間プレーしましたがEU圏外選手の厳しい競争があり契約延長できず引退。その後、ザンビアのNGOにて半年間、スポーツを通じたジェンダー平等を現場で実践。帰国後、スポーツ庁国際課に勤務し、国際協力及び女性スポーツを担当。現在は順天堂大学スポーツ健康科学部にて助教。順天度大学女性スポーツ研究センター研究員、NPO法人GEWEL副代表。専門は「スポーツと開発」と「スポーツとジェンダー・セクシュアリティ」。米国の大学院にてMBAを取得。

バイタリティ溢れるプロフィール紹介となりましたが、3人の共通点は女子サッカーです。女子サッカーの経験が、人と人とを結んで、今の3人を創ってくれたようです。

FutbolNetプログラムを推進する井上由惟子さん 提供:S. C. P. Japan

野口さんと井上さん、運命のルームメイト

プロフィールを拝見して疑問に思ったことから質問させていただきます。野口さんは、ずっとサッカーをやり続けてこられましたが、スウェーデンで最初のシーズンのプロ契約を満了したときに、サッカーを辞められています。その理由がわかりませんでした。

野口私にとってサッカーをやる意味は「日本女子代表でプレーする」ことでした。スウェーデンで活躍すれば「なんとか日本女子代表に入れるかもしれない」というラストチャンスに賭けてプレーしました。でも、そこでまで活躍できなかったので、女子サッカー選手として自分を追い込んで生活する理由がなくなりました。それで辞めることにしました。

野口さんと井上さんが、同じように海外に渡り、米国サマーリーグで同室になり、それが、後のS. C. P. Japan設立につながります。さらに、野口さんがザンビアへ、井上さんがブータンに渡っているのも面白いですね。海外へ渡ったのは偶然なのですか?

野口私も聞きたいよ、(井上)由惟子(笑)。

井上(野口)亜弥さんに会った人は、みんな衝撃を受けると思います。亜弥さんは、ぐいぐいと心の中に入ってきます。私は、自分の心を整理できないままに米国に行きました。そうしたら「なんでジェフを辞めたの? 今は何をしたいの?」とか、自分でも解らないことを質問してきてくれました。私は、亜弥さんの質問で心の整理をできました。本気で言ってくれたり、本気で怒ってくれたりして嬉しかったです。サッカーに関して妥協を許さず、生き方もかっこいい。物凄い尊敬をしています。だから、ザンビアに行った亜弥さんを見習って、私もブータンに行くことにしました。ブータンの現地で悩んだときは亜弥さんに連絡して、スポーツと開発の考え方、スポーツを通じた社会づくりを考えました。その頃から、亜弥さんと一緒に働くことはずっと夢でした。今、S. C. P. Japanを設立して1年。夢が叶っています。

本気で怒ってくれたというのがサッカーっぽいコミュニケーションですね。今の時代は、仲の良い人は遠慮して本音を言ってくれないことが多いような気がします。

プライドハウス東京の設置記者会見(2020年9月6日)後列左から四番目が野口亜弥さん 提供:S. C. P. Japan

それぞれで異なる引退の理由

続いては巷の噂を検証しようと思います。井上さんの引退があまりに早いのはなぜでしょう。誰に聞いても理由が判明しません。

井上私も解りません(笑)。サッカー自体を辞めると言い切れず「海外に興味があるので」という理由でジェフユナイテッド市原・千葉レディースを離れました。

言い訳みたいな渡米だったのですね。

井上辞めますと、はっきりは言い切れずに引退しました。かっこいい理由があれば良かったのですが。

野口さんは日テレ・東京ヴェルディメニーナのセレクションに合格していたというのは本当ですか?

野口永里優季選手と同い年で、同じ年にセレクションを受けました。私は千葉県野田市に住んでいて練習場のある読売ランドまで通う時間が2時間半かかるので諦めました。当時、リアルに日本女子代表を目指すならば、私には日テレ・東京ヴェルディメニーナに入るしか選択肢がありませんでした。「永里優季さんと同じレベルで合格にしたいけれど、遠すぎるから通えないよね」と言われてセレクションを落とされました。でも、どうしても行きたかったから、中学校3年生までは、春休み、夏休み、冬休みは日テレ・東京ヴェルディメニーナの練習に参加しました。両親は「引っ越して良いよ」と言ってくれたのですが、小学校でサッカーを教えてくれたコーチが「どうなるか分からない勝負の世界の中で家族親を巻き込んで行くことなのか?今の環境でもやれることはあるのではないか?」とアドバイスをくれて、引っ越しをしない選択をしました。「なんで、あのとき、引っ越してメニーナに行かなかったのだろう?」と大学1年生くらいまで思っていましたね。ずっと心に引っかかっていました。そうやって、選手として上手くいかないことを環境の責にし続けていました。

S.C.P. Japanが主催、女子サッカーブリッジ協力で国際女性デー特別企画イベントを開催し成功

般社団法人を始める偶然のタイミング、そして繁浪さんは、そこに巻き込まれた!?

— S. C. P. Japanは誰の発案で始まったのですか?

井上私は帰国後に大学院で勉強していたのですが、机上の学びにモヤモヤがありました。実践の場を求めていました。その頃、私が個人で一緒に仕事をしていたバルサ財団が日本で活動を拡大していく法人パートナーを探していました。亜弥さんも、ちょうど実践できる場を求めていたので、一緒に一般社団法人を立ち上げることになりました。

サッカーを生かした社会貢献プログラムを開始する芽が存在していて、それを具体的にやるには一般社団法人が必要だったのですね。野口さんの解釈は?

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