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道上彩花選手(新潟L) 「自分たちの『本分』を全うするべきなのではないか?」 自問自答しながら日々を過ごした 東日本大震災後のストーリーとは?

道上彩花選手は、日本の女子サッカーには珍しいパワフルなストライカーです。2013年シーズンから2018年シーズンまでINAC神戸レオネッサでプレーし2019年シーズンと2020年シーズンの2年間は伊賀FCくノ一三重でプレーしています。そして2021年シーズンはアルビレックス新潟レディースでWEリーグ開幕を迎えます。

今回は、東日本大震災から10年の節目のインタビュー第三弾です。大仁邦彌さん、山根恵里奈さんに続いて道上彩花選手のお話をお聞きしようと思った理由は、当時、道上彩花選手が高校生だったからです。高校生にとって、あの震災とは何だったのか? それを知りたかったのです。

我々が被災地の方々から大きな力をもらった 大仁邦彌さん(JFA最高顧問)震災10年インタビュー

「やめるなよ」と「サッカーどうするの?」 東日本大震災から10年 山根恵里奈さんが見つけた正解(後篇)

福島県の高速道路で強い揺れに遭遇 

道上彩花選手は、福島県の道路上で東日本大震災に遭遇しました。そして、通学していた仙台市の常盤木学園高校に戻ります。常盤木学園高校は、仙台駅から徒歩15分ほどのところにあります。

東日本大震災直後に体験したことと今とを結ぶ恩師の言葉とは? 筆者はインタビュー取材を終えて、当時、高校生ながら「自分たちの本分は学業と共にサッカーをプレーすることである」という宿命を背負わされてしまったが故に生じた道上彩花選手の葛藤は、あまりに重たいと思いました。常盤木学園高校は、女子サッカーの名門高であるだけなく、プレナスチャレンジリーグEASTにも参入し、プレナスなでしこリーグを目指すクラブや大学のチームとリーグ戦を戦っていたのです。東日本大震災は、そんなプレナスチャレンジリーグEAST開幕直前に発生したのでした。

東北地方唯一の大都市・仙台市

道上常盤木学園高校の卒業生は家族のように、世代を超えて仲が良いです。それは他の高校にはない校風かもしれません。自分は運よく、一年生からプレナスチャレンジリーグEASTに出場させてもらったので、普通の高校生ではできない経験をさせてもらいました。

3年生の時は22試合出場で30得点されていますね。これは、ものすごい記録です。

道上でも(プレナスなでしこリーグ)一部リーグとの差は大きいです。得点数は多いですが、一点ごとの重みは違いますね。

東日本大震災のときは、どこにいらしたのですか?

道上自分は学校の行事で福島県に行っていて、帰りの高速道路で揺れに遭いました。めちゃくちゃバスが揺れました。怖かったです。頭が真っ白になりました。バスは学校に戻って、それから、生徒は各々の家に帰りました。チームメイトには実家が石巻市の生徒もいました。三陸地方の被害状況がニュースで流れ「本当に只事ではない」と思ったことを覚えています。

10年を経ても「復興」の日を迎えてはいない

プレーできるように環境を整えてくださっている人がいた

様々な地域から通われている方、三陸地方ご出身の方もいらっしゃいました。境遇が違うチームメイトが混在して大変だったのではないですか?

道上寮の窓ガラスが割れたり校舎の隙間が開いたり、初めての経験だったので冷静に考えられず一杯一杯でした。家が津波で流された子もいたのですが、どう言葉をかけてあげれば良いかわかりませんでした。寮で暮らして、チームメイトとは家族のような関係になっているので「これ以上は何事もなければいいのに」と思って日々を過ごしていました。

施設の被害はいかがでしたか?

道上グラウンドのナイター設備に少し被害がありました。でも、それよりも自分は生きることで精一杯の気持ちで……。そんな中でもプレーできるように環境を整えてくださっている人がいました。プレナスチャレンジリーグEASTの開幕戦(410日開催)が近かったので、阿部由晴先生に言われたことを覚えています。「ここで止まっちゃダメだ」。東日本大震災で自粛等はありますが、今できることをしっかりと全うすることを教えられました。

開幕戦はホームゲーム。仙台市ではなく、ゆめりあ(磐田スポーツ交流の里ゆめりあ球技場:静岡県)で開催されました。スフィーダ世田谷FCとの対戦でした。(開幕してホッとした?サッカーをやっている場合ではない?)気持ちは両方ですね。大きな被害に遭っているチームメイトもいたので「本当にサッカーをやって良いのだろうか?」という気持ちもありましたし「自分たちの『本分』を全うするべきなのではないか?」……両方が頭の中でこんがらかっていました。学生だったので、学業……そして、自分たちは部活動をやらせてもらっていたので、サッカーを最後までやることが次につながる『本分』だと思っていました。

※試合結果は0−3。17本のシュートを放つも完封負け。観客数は200人でした。

まだ雪が残るアルビレックス新潟レディースの2月の練習 

感覚でゴールを決めた世界デビュー

次はFIFAU-20女子ワールドカップ2016日本大会の開催決定のお話です。自分が出場できるかもしれないと思ったときはいかがでしたか?

道上急に日本で開催されることが決まりました。自分は、年代別代表に呼ばれ始めた頃で、それまでは代表で実績がありませんでした。「出場できるだろうか?」と考えられるほどの余裕はありませんでした。でも目標は立てていたので日本を背負ってプレーする責任を感じていました。自分が、どこまで通用するかを試すのは楽しみでした。そんな気持ちでいっぱいでしたね。

大会直前には、福島市のあずま陸上競技場でU-20カナダ女子代表とのテストマッチを開催しました。本大会では、U-20日本女子代表が宮城スタジアムで試合を行いましたね。

道上自分は運良く本大会(ニュージーランドU-20女子代表戦:2012年8月22日)で得点できました。その前にもチャンスはあったのですが、大きい試合の経験が少なくて、なかなか冷静にプレーできずにいました。惜しいシーンを何度か外していたのですが、次は決められそうな感覚がありました。1−2で負けている終盤に、田中陽子選手のコーナーキックが「来るな」って思った場所に来て、頭に当てて決めました。考えていたというよりも本当に感覚のゴールでした。決められて良かったです。しかも、宮城県での試合でしたから、なおさら嬉しかったです。

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