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「復興五輪」とは何だったのか?前篇 宮城のスタンドから見た東京2020 ちょんまげ隊は何を掲げたのか?

東京2020を振り返る第4回は、なでしこジャパン(日本女子代表)の試合内容から離れます。宮城スタジアムにて有観客で行われた東京2020について、スタンドからしか語れない貴重なレポートをお伝えします。サッカー競技は、女子7試合(4日)、男子3試合(2日)が宮城スタジアムで行われました。

人々がCOVID―19(新型コロナウイルス感染症)のことをまだ知らなかった2013年9月に、東京2020の開催が決定しました。招致の段階で、東京2020は東日本大震災の復興を後押しする「復興五輪」と位置付けられていました。そのため、聖火は福島県にある「Jヴィレッジ」(楢葉町、広野町)からスタートしています。聖火ランナーの一番手は、東日本大震災が発生した2011年に世界一になった(翌年にロンドン五輪で銀メダルを獲得した)なでしこジャパンのメンバーでした。でも「復興五輪」……この4文字を皆さん、もう、お忘れかもしれません。

「復興五輪」……スタジアムで何が行われていたのか?

「復興五輪」の現実は、どうだったのでしょうか。それを知るには、宮城スタジアムで開催された全10試合に足を運んだ人にお話を聞くより、他に知る方法はありません。そこで、今回は「ちょんまげ隊長」ツンさんに、お話をうかがうことにしました。

「ちょんまげ隊長」ツンさんは、北京五輪の観戦で初めてちょんまげを着用。その後は、手作り甲冑も身にまとい、世界中の大会を行脚しています。2011年以降は震災復興支援に力を入れ、各地で講演、福島県南相馬市の小中学生によるマーチングバンドのドキュメンタリー映画『MARCH』を制作、2つのFIFAワールドカップに被災地の子どもたちを招待する等の活動を行なっています。

2012年の筆者(左)、ツンさん(右)

筆者は、FIFAU-20女子ワールドカップ日本2012でのツンさんの震災復興支援活動に協力。女子サッカー関係者を紹介する等の繋がりがあります。そんな筆者に、ツンさんが、宮城スタジアムで感じた「リアル」を一気にお話してくださりました。忘れかけていた「復興五輪」とは何だったのか?今一度、皆さんも考えてみてください。

「復興五輪」の合間に石巻市で復興支援チャリティマッチも

ツンさんのお話の中に、7月27日女子の一次リーグ、28日男子の一次リーグと、30日の女子の準々決勝の間にある、1日だけの空白の時間の話が出てきます。その7月29日に、ツンさんは、セイホクパーク石巻で開催された復興支援チャリティマッチを観戦しています。千葉望愛選手(スペインでプレー)の声掛けにより、海外でプレーしている日本人女子サッカー選手たちが集結したチーム・PROTAGONISTAがマイナビ仙台レディースユースチームと対戦したのです。

撮影:Nishina Taka

試合後に、サッカー教室が行われ、地域の子どもたちと海外でプレーする女子サッカー選手が交流を深めていました。その光景は、まるで「復興五輪」の非公式関連イベントのようでした。

提供:ツンさん

諦めかけていた「ホスト国プライド」、そこ村井宮城県知事の発言が

僕は10年前から、サッカーのネットワークを通じて東北支援をしています。また、サッカーの仲間がいるので、全国津々浦々で災害が起きるとボランティアに駆けつけています。

海外にサッカーを見に行くと、現地の人が、外国からやって来た僕らにとても親切です。僕は、東京2020で「ホスト国プライド」をテーマに何かおもてなしをしたいと考えていました。3年くらい前から、仲間と話し合っていました。

でも、COVID―19(新型コロナウイルス感染症)で全てが激変しました。(海外からの観戦者を受け入れなくなったので)一時期、僕は全てを諦めかけていました。そして無観客開催が決まりました。心が折れました。「ついに、2008年から続いている五輪、FIFAワールドカップの連続観戦記録が途絶える」……海外の大会ならともかく、自国開催の大会で試合を見られなくなるなど予想が出来ませんでした。

でも、その後、宮城県の村井嘉浩知事が有観客で開催すると発言したニュースを知りました。「宮城県が有観客で試合を開催すれば、世界的に注目される可能性が増すのではないでしょうか。世界に感謝のメッセージを伝えられるだけでなく、困難を克服した県であると評価してもらえるかもしれません。」という意味のことを村井知事は言っていました。それを聞いて、僕は「おっ、すげーな」と思いました。その瞬間に、仙台市の友人から連絡が来ました。「知事が、あんなことを言っているけれど、ツンさんたちは何をやるの?」と聞かれました。「何をやるの?と言われても、何もやれないですよ。僕はチケットも持っていないですから。」と話をしたら「私のチケットをあげるから。」と言われました。そんな経緯で2021年7月21日と24日の2日間・女子サッカー一次リーグ試合のチケットをもらうことになりました。

サッカーへの先入観が変わった2011年〜2012年の経験

僕はサポーターだからFIFAワールドカップや五輪は戦いの場だと思っていました。感謝のメッセージを試合会場に持ち込んではいけないと思っていました。でも2011年に東日本大震災が起きると、スペインでリーガエスパニョーラの選手が円陣を組んで東北地方のために黙祷をしてくれました。各国のサッカー選手が、漢字を使って、アンダーシャツに「頑張れ」と書いて披露してくれました。僕は、そういう写真をたくさん見て「スポーツが、試合以外のことを伝えることもアリなんだ」と思いました。だって、それまで、日本では、そういうことをしてこなかった。例えば、中国の四川省で大地震があっても、日本のスポーツの現場で追悼したという話を僕は知りません

FIFAU-20女子ワールドカップ日本2012で掲げた横断幕 提供:ツンさん

僕はFIFAU-20女子ワールドカップ日本2012のときに、石井君をはじめ女子サッカーに関わる仲間の力を借りて、出場国全チームの言語で書かいた「東日本大震災の復興支援に感謝する横断幕」を掲げました。全国の会場で、みんなが横断幕を掲げました。英語だけではなく、出場国全チームの言語で書いたことが重要でした。みんなが注目する「ワールドカップ」で、世界に感謝の気持ちを伝えました。あれは9年前のことです。

11言語13枚の横断幕を宮城スタジアムに持ち込む

FIFAU-20女子ワールドカップ日本2012で掲げた横断幕を流用した東京2020の横断幕 提供:ツンさん

今回「私のチケットをあげるから」と言われたとき、あの9年前のことを思い出しました。最初の試合まで約10日。準備に時間がありません。宮城で行われる試合の出場国全チームの言語で横断幕を作るのには大変な時間がかかります。でも「これならできる!」と思いました。奇跡的に、9年前の横断幕が、全て残っていたのです。これを流用できました。それに3つの言語の横断幕を加え、11言語13枚の横断幕を試合の開催日までに揃えました。9年前の皆さんがいてくださったから、全言語を掲げることができたのです。

この横断幕が、テレビ中継に映ることはほとんどありませんでした。でも、各国のプレスが写真を撮影したり、カナダの国営放送から取材を受けたりしたので、少しは出場国に感謝のメッセージが伝わったと思います。その国の言語で感謝を伝えることが大切です。東京2020の選手村でオーストラリアの選手団が日本語で垂れ幕を出しました。あれは、日本語だから「僕たちに言ってくれた」と多くの日本人に伝わりましたよね。

全てを通して作業したのは、僕一人だけです。仲間は、みんな宮城スタジアムに来たくても来ることができませんでした。観客数は6日間10試合の合計で2万人くらいです。

会場に来てくれた、初めてお会いした人が横断幕を手伝ってくれました。13枚を貼るのは大変です。台風が来たし、大雨もあった。COVID―19(新型コロナウイルス感染症)対策も必要で、なるべく人との接触を減らしたかったので、この期間に千葉県の自宅から宮城スタジアムまでクルマで800キロメートル×3往復しました。ビシャビシャに濡れた13枚はとても重たい。22時に試合が終わり、それから、一人で横断幕を持ち帰りました。コインランドリーで洗い終わったのは夜中の2時でした。

(インタビュー:2021年8月5日 石井和裕)

 

ここまでが前篇です。後篇では、「復興五輪」とは何だったのかについて、さらに踏み込んでお話をうかがいます。そして、国際経験豊かなツンさんが、なぜ有観客試合を凄いと感じたのか、その理由も教えていただきました。ぜひ、後篇もお楽しみください。

 

 

 

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