WE Love 女子サッカーマガジン

1993年Jリーグ開幕戦の線審・塩屋園文一さん Yogibo  WEリーグの開幕は、いつも通りにやれば良い

いよいよ2021年9月12日にYogibo  WEリーグが開幕します。女子サッカー界にとって、歴史に残るハレの舞台です。日本に、団体球技の女子スポーツで初めてのプロリーグが誕生するのです。

あのとき……1993年5月15日にJリーグが開幕しました。日本のスポーツ史に残るアツい一日。筆者は、国立競技場で開幕ゲームを目撃。チケットの入手、入場、セレモニー、試合、そして試合後の交流まで、今でも忘れられない貴重な経験をたくさんしました。

その試合のピッチに立ったのは28人。そのうち4人は審判です。塩屋園文一さんはJリーグ開幕戦の線審(現:副審)を担当しました。

今回は、Yogibo  WEリーグの開幕直前ということで、歴史に残る開幕戦のお話です。Jリーグ開幕戦はYogibo  WEリーグ開幕戦の大先輩。審判から見たJリーグ開幕戦とは?Yogibo  WEリーグ開幕に贈るエールとは?実は、女子サッカーと縁が深い塩屋園文一さんからのメッセージをお届けします。最後の優しいお言葉が、塩屋園文一さんのお人柄を表しているインタビュー記事です。

審判のサインが入ったJリーグ開幕戦使用ボール

古河電工(現:ジェフユナイテッド市原・千葉)のゴールキーパーだった塩屋園文一さん

塩屋園さんは、高校生の夏合宿前の健康診断で心臓に異常があると診断されてしまいます。部活動の禁止が学校から通達され、プレーを断念しかけます。しかし、ゴールキーパーに転向してプレーを続けられることになりました。当時から日本サッカーリーグの古河電工(現:ジェフユナイテッド市原・千葉)が大好きで「図書館に行く」と両親に嘘をついて、古河電工の試合を観戦しに行ったりする、サッカー漬けの毎日でした。日本代表の練習を見るために、東京大学検見川グラウンドにも通いました。

塩屋園さんは、サッカーの名門ではない成蹊大学に二浪で進学しました。卒業後は、好きが高じて偶然も重なり、古河電工のグループ会社である古河電池株式会社に就職することになりました。そして、古河電工のサッカー部に加入しました。8シーズンで公式戦の出場は一度もなし。練習試合で審判を担当したのが、審判生活の始まりです。「ルールも知らないのにやっていた」という塩屋園さん。選手から誤審を突っ込まれることもあったのだとか。

サッカー界に残るため審判の道へ

8シーズンを終えて現役を引退した後、塩屋園さんはサッカー界に残るため、本格的に審判の道を選ぶことになります。日本サッカーリーグの出身者から審判を育てるプロジェクトが始まっており、山田等さん(日本鋼管、元日本代表)、菊池光悦さん(日立)と3人が審判を始めたのでした。1984年に日本サッカー協会1級審判に合格。当時は35歳が合格の年齢制限でした。塩屋園さんはギリギリの35歳で受験。もし、このとき、試験に失敗していたら、Jリーグ開幕戦線審・塩屋園文一は誕生しなかったことになります。

FIFAワールドカップイタリア1990は大会を通じて線審のミスが目立ちました。そのため、優秀な主審が線審も担当することが慣例となっていたFIFAワールドカップの審判制度が改定され、線審の専門家が育成されるようになりました。ここから国際主審と国際線審が別の資格に分業されます。

塩屋園さんは、1992年に44歳で国際線審に合格します。国際線審合格の年齢制限は45歳。このときもギリギリでした。日本では数少ない国際副審となった塩屋園さんは、1993年5月15日のJリーグ開幕戦の副審を担当することになります。

動画に映る、ピッチの向こう側の線審が塩屋園さん

ジェフユナイテッド市原・千葉レディースの監督としてチームを育成したことも

塩屋園清雲栄純さんに誘われて古河電池を退職。ジェフユナイテッド市原に転職しました。最初はアカデミーで育成の仕事をしていました。その後「将来を考えると女子チームが絶対に必要だ」という声が挙がりました。そしてスタートしたジェフユナイテッド市原レディース(現:ジェフユナイテッド市原・千葉レディース)を手伝ってコーチからやらせていただきました。その後、戦いの場を関東女子サッカーリーグに移すと、監督をやらせていただきました。ジェフユナイテッド市原・千葉レディースは2000年になでしこリーグ2部に昇格するのですが、その直前まで関わらせていただきました。

まさか!?僕がJリーグ開幕の線審を担当 

塩屋園Jリーグ開幕戦の前に、小幡真一郎さんと一緒にイランに派遣され、僕は線審を担当しました。FIFAワールドカップUSA1994のアジア地区一次予選です。8万人の観客の前で審判を担当する貴重な経験もさせてもらいました。このときの経験があったから小幡真一郎さんと僕がセットでJリーグ開幕戦の主審・線審を担当することになったのかもしれません。

担当審判は1ヶ月か1ヶ月半前に連絡を受けます。「Jリーグ開幕戦をやれるんだ」という喜びがあったと思います。まさか僕が開幕戦の線審を担当できるとは思っていませんでした。実は、僕も、開幕戦のチケットを抽選販売で入手していました。

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