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サッカーを続けていたから、今は14歳のときと同じように、胸を張って「サッカーが好き」と言えます 荒川恵理子選手(EL埼玉)

荒川恵理子選手は、日本女子代表の愛称が「なでしこジャパン」と決まったときに、日の丸を背負って世界と戦っていた「元祖なでしこ世代」。最近は「ベテラン選手」として、メディアに取り上げられることも多いですが、本人は、今も、14歳の頃と同じようにサッカーを楽しんでいると言います。これまでのサッカー人生に、様々な葛藤があり、それを乗り越え、荒川選手はちふれASエルフェン埼玉のメンバーとして、女子サッカープロリーグ元年を迎えました。今回のインタビューの中で、WEリーグでのプレーについて、このように話してくれました。

「サッカーを楽しみたいです。プロリーグになり結果を求められますが、サッカーに没頭して、いい意味で、がむしゃらに楽しみたいです。自分が楽しんでいれば、見ている方も楽しいと思ってくれると考えています……もしかすると苦しそうな顔をしているかもしれませんが(笑)。」

ちょっと照れて、最後に冗談を加えるのが荒川選手らしいところ。誰もが応援したくなってしまう、荒川選手の親しみやすいキャラクターです。

インタビューを行うまでは、全く予想していなかったのですが、今回は、これまで、あまりお話いただけなかった、浦和レッズレディースでのプレーにも触れていただきました。浦和でプレーした年間は、荒川選手にとって、とても大きな3年間だったようです。そして、今でも、14歳の頃の気持ちそのままでいられる理由とは何か?理由も教えてくれました。最後までお読みください。

試合を重ねていくうちにやれることが増えていったWEリーグ前半戦

先日、熊谷でのWE ACTION DAYの取り組みを取材させていただきました。選手の皆さんが、とても楽しそうでした。事前に色々と工夫してプログラムを作られた印象を受けました。ちふれASエルフェン埼玉の良いところが出ていたような気がします。

荒川みんなで集中して盛り上げることができるチームです。WE ACTION DAYの取り組みは、入念にミーティングを行いました。

年齢の幅の広いチームですが、まとまりはいかがですか?

荒川上から下までで20歳くらいの年齢差があります。でも、自分自身は気にしていないです。みんな自分よりも年下ですが、そうは変わらない感じでやっています。

前半戦の手応えを教えてください。

荒川最初は、守備でも攻撃でも上手くいかないことが多かったです。試合を重ねていくうちにやれることが増えてきました。私たちは、なでしこリーグ2部から上がってきたチームです。だから、開幕前から、苦しい試合になるのは予想していました。それでも、自分たちの力を出せていない感じがして歯がゆいスタートでした。

手応えを感じ始めた4試合目で私は怪我をして離脱してしまいました。離脱した後は、外から試合を見ていましたが、チームが成長している感じがします。サッカーには色々なやり方があります。相手にボールを持たれている時間も多いかもしれませんが、自分は、ボールを持つ時間を長くしつつ、イメージを共有し合って相手の守備を崩せたら良いと思っています。

ボールを奪って荒川選手に縦パスが入り、それを吉田莉胡選手や祐村ひかる選手のような速い選手に渡し、手数をかけずに速攻でシュートまでいくと得点できそうなイメージもあるのですが、実際にプレーしている選手は、今よりも、もう少しポゼッションしたい考えなのでしょうか?

荒川どこまで(ポゼッションに)こだわってやるかは難しいところです。速い攻撃で1点をとって逃げ切れば勝ちです。速いサッカーもありつつ、遅攻もできるのが理想です。

これまでの試合は、押し込まれて、なんとかカウンターで逆襲する時間帯が多いので、もう少し、速攻と遅攻のバランスを取りたいですね。

荒川奪ったときに、どのようにボールを動かしていくのかが課題だと思います。

前半戦の最後の3試合は負けなしです。徐々にチームが良くなってきている理由として感じることはありますか?

荒川やり方が明確になってきました。シーズン当初は守備中心の練習が多かったです。途中から攻撃の練習も増えてきました。

若い選手も多い中で、経験豊かな選手が、振る舞いで気をつけていることはありますか?

荒川特に事前に思っていることはなくて、その時々で思ったことを伝えるようにしています。伝えるのは今なのか、後なのか、考えながら伝えますね。ちふれASエルフェン埼玉は、サッカーのことを、みんなでよく喋るチームです。

プロリーグに感謝し、隣り合わせの危機感も

2000年前後の、女子サッカー苦難の時代を乗り越えてきた荒川選手にとって、女子サッカーのプロ化の意味は?

荒川女子サッカーリーグがなくなるかもしれない時代もありました。自分が現役の間にプロリーグができることは絶対にないと思っていました。(過去の)所属チームには、何人かのプロ契約の選手がいましたが、リーグ全体がプロ化されることを想像できませんでした。プロ化の話を聞いても、最初は「日本はプロリーグをやっていけるのかなー」という気持ちが強かったです。

WEリーグは長く続くリーグであってほしいと思います。WEリーグになったからといって、自然にお客さんが増えるわけではありません。プロリーグで選手としてプレーできることに感謝し、同時に、危機感を隣り合わせにして生活しています。

かつては、車の影で隠れて着替えることも

荒川今のちふれASエルフェン埼玉の練習環境はとても良いです。設備だけではなく、(人的な)サポートも嬉しいです。自分が、初めてちふれASエルフェン埼玉でプレーしたのは2013年です。専用の練習グラウンドもなく、車の影で隠れて着替えることもありました。河川敷の土のグラウンドで練習したこともありました。今は、人工芝のちふれ飯能グラウンドがあって、クラブハウスがあり、練習後にシャワーを浴びて、ご飯を出してもらえるのはありがたいです。

日本の女子サッカーは、今、国際試合の成績がふるいませんが、それでも、ここまで、地域と共に歩んできた感じはしますね。

荒川ちふれ飯能グラウンドのある飯能市の地元の皆さんからは、差し入れをいただいたりして、とてもありがたいです。川越市の農家さんが、どっさりと野菜をくださいます。すごくありがたいです。

好きな選手はマラドーナと松田岳夫さん

荒川アンケートの「好きな選手」の欄によく書くのはマラドーナと松田岳夫さん(現・マイ仙台監督)ですね(笑)。松田さんには、日テレ・ベレーザ(現・東京NB)、ちふれASエルフェン(現・EL埼玉)で指導していただきました。初めて指導者になった松田さんに、メニーナで指導してもらった中学校1年生のとき一緒にサッカーをしました。ボールを奪いにいって「よしとれる!」と思った瞬間に、どういうやり方をしたのか分からないのですが、いつの間にかボールを股に通されているのです。その衝撃が大きくて、松田さんが、めちゃくちゃ上手かったと覚えています。自分に、サッカーの遊び心を教えてくれた人です。

マラドーナは自分と誕生日が一緒です(笑)。小学校5年生のときに、缶コーヒーのNOVAのイベントで池袋の西武百貨店の屋上にマラドーナが来たことがあります。そこで、自分は、マラドーナとサッカーをしました。

 

荒川恵理子選手の #女子サカ旅 はアテネでの思い出

荒川先日、元チームメイトから初めてオリンピックに出場したときの懐かしい写真が送られてきました。オリンピックは、自分にとってはボーナス・ステージのような夢の大会でした。(予選最大のライバル)北朝鮮戦をみんなで勝って、ようやく(本大会に)辿り着きました。当時のことを思い出すと「チーム」を強く感じます。一体感がありました。

サッカーはオリンピックといっても開催都市以外で試合をすることが多いです。自分たちも、最初は選手村ではなくアテネ以外の街のホテルに泊まっていました。だから、あまりオリンピックを実感していませんでした。それから、選手村に1週間くらい入りました。そこで「オリンピックって、こういうところなのだ」と思いました。自分の周りにいる外国人のほとんどは国を代表して参加しているアスリートです。その一員であることが夢のようでした。

自分の意識が変わった浦和レッズレディースでプレーした年間

荒川インタビュー取材では、大体「最年長の荒川さん」「最年長として」と質問されます。自分は、あまりそういうことは思っていなくて、今でも14歳くらいだと思っています。サッカーの楽しさを解り始めた年齢が14歳でした。あの頃は、とても楽しかったです。

その後、日テレ・ベレーザで「サッカーが楽しいのかなあ」「サッカー好きなのかなあ」と疑問に思いながらプレーしていたときもありました。

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