無料記事【追憶】黒部光昭
2003年1月1日、天皇杯決勝(京都―鹿島)で決勝ゴールを決め、チームを優勝へと導いた黒部光昭を覚えているだろうか。
2015年に15年間の選手生活を引退し、彼は今、選手から立場を変えて、富山で第二のサッカー人生を歩んでいる。
カターレ富山強化部長として、選手のスカウトに携わる彼だからこそ、選手時代を振り返って見えてくることがある。
第1話[黒部光昭の選んだプロ街道]
黒部光昭は1978年、徳島県で生まれた。ボールを蹴るのが大好きだった彼は、小学校2年生のとき小学校のサッカーチームに入った。
サッカーが好きで、地元中学校のチームでサッカーを続け、高校は県内のサッカー強豪校・徳島商業高校に進んだ。
「徳島でサッカーの強いところといえば、徳島市立高校と徳島商業高校の2校だった。頭を使うサッカーなのか、根性サッカーなのか。
俺はどちらかといえば、根性や体を鍛えて戦う徳島商業のほうが自分に合ってると思った」
黒部は徳島商業を選んだ。
「高校サッカーでは、インターハイと選手権の2回、全国大会出場のチャンスがある。1年のとき、2年のとき、3年のときもインターハイ、選手権とも県で2位だった。
だから俺は全国大会を一回も経験したことがない」
黒部は高3のときJリーグチームの練習に参加する。
「高校の先生が『こいつだったらプロにいけるんじゃないか』っていう期待を込めて『練習参加してこい』って言ってくれて、ガンバ大阪と柏レイソルに練習参加をさせてもらった。
でも自分の中では、まだプロで通用すると思わなかった。
全国大会にも出れてない選手がプロになるなんてとんでもない。
いろんなことを考えた。
自分が大学に行って、もしプロになれなかったら。
学校の先生になれるようにとか、体育系の資格がとれるようにとか、いろいろ考えて福岡大学に行くことを選んだ」
1998年、黒部は第12回デンソーカップ(大学サッカー地域別対抗戦)に出場。スカウト陣も注目する大会で活躍し、プロへのチャンスをつかんだ。
「福岡大1年のときは、ちょっとしか試合に出てなくて、2年のときにレギューラーになった。
デンソーカップという大学生の大会で、九州選抜に選ばれて初優勝した。その時のMVPが俺で、決勝戦の決勝点も取った。それで、大学の全日本メンバーに選ばれたことがオファーのきっかけになった。
俺にとっての人生の転機はそこだったかなと思う」