【追憶】黒部光昭 第4話[2年目の春~俺と大輔とチソン]
2003年1月1日、天皇杯決勝(京都―鹿島)で決勝ゴールを決め、チームを優勝へと導いた黒部光昭を覚えているだろうか。
2015年に15年間の選手生活を引退し、彼は今、選手から立場を変えて、富山で第二のサッカー人生を歩んでいる。
カターレ富山強化部長として、選手のスカウトに携わる彼だからこそ、選手時代を振り返って見えてくることがある。
第4話[2年目の春~俺と大輔とチソン]
プロ2年目の春、2001年3月17日 第2節 アルビレックス新潟戦(@西京極)で、黒部は待望のJリーグ初ゴールを決めた。
「1点取れて自分に自信がついた」
背番号9番をもらい挑んだ2年目。黒部は当時のことを克明に覚えていた。
「俺、実は開幕スタメンじゃなくて、すごい悔しい思いをした。
2節は新潟、3節はフロンターレ、4節はベルマーレが相手やったと思う。
2節に交代で入って点を取って、3節で先発のチャンスもらって点を取って、4節で点が取れなくて交代にされて、もう悔しくて腹が立って、5節から7試合連続で点を取った」
悔しさから這い上がった痕跡は、記録となって残った。
黒部が4月8日~5月13日まで毎試合取り続けた7試合連続ゴールは、J2連続得点記録となり、今でも最長記録に並んでいる。※(※J2連続得点試合数ランキングでは7試合が最長記録。その後、鄭大世、ジュニーニョが7試合連続ゴール記録をマークしている)
「そしたら、ゲルト監督(ゲルト・エンゲルス 現INAC神戸レオネッサ監督)も『君はチームの中心だから』と試合に出してくれるようになった」
黒部はゴールを重ね、年間で30ゴールを挙げる。
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