サッカーの羅針盤

【追憶】黒部光昭 第6話[日本代表への最短ルート]

200311日、天皇杯決勝(京都―鹿島)で決勝ゴールを決め、チームを優勝へと導いた黒部光昭を覚えているだろうか。

2015年に15年間の選手生活を引退し、彼は今、選手から立場を変えて、富山で第二のサッカー人生を歩んでいる。

カターレ富山強化部長として、選手のスカウトに携わる彼だからこそ、選手時代を振り返って見えてくることがある。

第6話[日本代表への最短ルート]

2002年シーズン、黒部はJ1で13得点を挙げた。そして、天皇杯で勝ち上がり、2003年元旦、国立で黒部は決勝ゴールを取った。

「天皇杯で決勝点を取って優勝して、その流れで代表に選ばれた」

 

当時の日本代表監督はジーコ。

「決勝戦の相手が鹿島でジーコが見てたと思うし、そこで結果を出せたことが大きかった。

ジーコの兄ちゃんも“あいつを呼ぶべき”って言ってくれた。

1月1日の天皇杯決勝からほんとに早い段階で呼んでくれて、2年間、代表で使ってくれた。

天皇杯で優勝できたことがきっかけだったし、対戦相手が鹿島だったことで、なおさら早かったよね。

それでチャンスをつかめた。

もってたなーと思う」

 

プロサッカー選手になるという夢を叶えたあと、追っかけていた夢。

黒部はアピールし続けていた。

 

2003年3月28日(@国立)、黒部は日本代表選手としてピッチに立った。

「うれしかったよ。

選ばれた最初の試合はウルグアイ戦。相手チームには、(ディエゴ・)フォルランや(アルバロ・)レコバっていう左利きの選手もいて、対戦できて、これが代表なんやなって思った。

それまで紫のユニフォームしか着たことがなかったから、青のユニフォームを着て、京都のサポーターじゃない人までが応援してくれる。

あー、幸せやなーと思った」

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