【追憶】黒部光昭 (最終話)[第二のサッカー人生~富山、いま]
2003年1月1日、天皇杯決勝(京都―鹿島)で決勝ゴールを決め、チームを優勝へと導いた黒部光昭を覚えているだろうか。
2015年に15年間の選手生活を引退し、彼は今、選手から立場を変えて、富山で第二のサッカー人生を歩んでいる。
カターレ富山強化部長として、選手のスカウトに携わる彼だからこそ、選手時代を振り返って見えてくることがある。
第9話(最終話)[第二のサッカー人生~富山、いま]
黒部が引退を発表したのは、2015年3月6日。37歳の誕生日だった。
「引退してから1年間は、なんにもしないでおこうって自分の中で決めていた。
頼まれたらサッカー教室をやったりサッカーの解説をやったり。
いろんなことにチャレンジした。
自分が一体なにをしたいのか模索していたときに、カターレ富山から強化部長のオファーをもらった。
チャレンジするのが好きだし、すごくやりがいのある仕事だと思った。
なにより、引退してすぐの人間に“強化部長”という役職を任すことは、カターレ富山にとって初の決断だったと思うし、それを自分にって言ってくれるならやりたいと思った」
選手として過ごしたカターレ富山での4年間―。
「引退した僕に“強化部長を任せてもいい”って、クラブのいろんな人たちが考えてくれたことに救われた。
ベテランになって最後に一生懸命やったことを見てくれてた人がいたんだなって、すごく嬉しかった」
黒部のサッカーに向き合う姿勢はクラブに伝わっていた。
黒部は強化部長として第二のサッカー人生をスタートした。
「強化部長という仕事は、チーム側と会社側の間に立つ、わかりやすく言えば中間管理職。
現場は監督に任せながら、監督がうまく仕事をしてるかをチェックしたり、監督が困ってることや要望をうまくコントロールしたり。
ときには選手に間違いを指摘することもあるけど、選手の気持ちがよくわかるぶん説得力はあるよね」
元選手という利点を生かし、強化部長として奮闘する日々。
「少しでも強いチームを作って昇格したいと思ってるけど、実際は選手にかけている人件費で順当にいけば5番前後ぐらいのチーム。それをどうやったら1番、2番にできるのか」
心が、試合結果に一喜一憂してしまう。
「強化部長は中間管理職といっても普通の会社とは違うから、“強いチームを作れているか”を俺もプロとして判断される。選手をやってるほうが楽だよ、そりゃ。
だって、選手は自分が試合に出て負けたら、自分のせいって言えるけど、俺は自分のせいでもなんでもないのに、勝った負けたで喜んだり怒ったり。
『なんであいつ、あんなとこでミスしたんや』って、感情を揺さぶられる。
監督やコーチと違って俺はどっちかっていうと、淡々としていなくちゃいけない立場なのかもしれない。
でもやっぱり、自分のチームは勝ってほしい」
黒部はこう続けた。
「選手が羨ましいよ、楽しそうやなって思う。
点取ってみんなが喜んでるのを見たら、気持ちいいやろな、って思う。
今はコロナのことでいろいろ大変なことはあるけど、好きなことでお金をもらえるんだから。
選手を見ていて、あー自分もこんだけ幸せな仕事をしてたんやなって思う。
選手が試合に出れなくて悔しいとか、イライラするとかストレスを抱えてるけど、
一般社会で働いていても、ストレスは鬼のようにあるんだし、
どっちみちストレスがあるんだったら、サッカーでストレス感じてるほうがよくないかって。
サッカーの仕事ができてること自体が幸せなんだから。
やっぱり選手はいいなって思う」
選手はクラブを出ていくこともあるし、いつかは引退するときがくる。
「強化部長は、選手をスカウトする仕事でもあるし、逆に、選手を切らなきゃいけないこともある。
J1のチームとは違って、J3のあとは社会人リーグになるから、選手を切ったあとは就職先をサポートする。
選手の就職先となる企業の条件を聞くと、やっぱりうちのクラブで選手ができるって幸せやなって思う。
上にいけばいくほど報酬をもらえて、サッカーだけに集中できる環境があることは、ほんとに幸せなこと。
仕事の役割もあって、今はいろんなことに目を配れるから、
選手だったときに、“もっとこうしとけば”とか、“こういうことを考えられてたら”って思うことは多々ある。
だからこそ、選手がちょっとでもいい方向にいけばって思う」
黒部はやりがいを感じていた。
「足りないことも、できないこともたくさんある。
なんでもできるとは思ってないし、できないことはできないって言う。
『すいません』って言いながら、いい経験をさせてもらってる。
自分は与えられたなかで富山のことを全力で考えるし、その中で自分自身が成長して、先のことはわからないけど、サッカーに関わった仕事ができるのは幸せやと思ってる。
チームをマネージメントしたり、いい選手を発掘してとってくるのが楽しい。
選手を育てるっていうのは、指導して育てるだけじゃない。
いい選手を発掘してプロになるチャンスを与えることも、ひとつの関わり方だと思うから。
今はそういう仕事ができているし、全力でやりたいなと思う」
第二のサッカー人生での夢は―。
「今後のことはちょっとわかんないな。
ひょっとしたら、一からサッカーチーム作ってJリーグ目指すっていい出すかもしれへんし。
現役のときはわからなかったけど、今は、プロサッカーチームがどう支えられてチームができているのか、裏でこんなふうにチームが成り立って、その中で一人ひとりの選手が契約してがんばってるんだっていうのが見えてきた。いい勉強をさせてもらってるなってかんじ」
「自分が選手として4年間やってきたことがきっかけで、カターレ富山がやりがいのある仕事をくれた。
それは俺にとって大きいことだし、ありがたいなと思っている」
将来は未知数。
ただ、カターレ富山と黒部光昭の“いい関係”は、5年目のいまも続いている。
(取材・文/ Noriko NAGANO)
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